淡々と
淡々と
あら?忘れてた。去年のお盆にあらわれたイチゴイボのごとき炎症。あんなに気になっていたのに。真っ赤に腫れて固化した層を、毎日かきむしったことや、人が見たらぎょっとするような見かけが、なんとか普通に戻りつつあります。先日の引き抜き作用で、だいぶ掃除が進んだようなのです。春水先生に教えて頂いた、物事は3で進むという原点は、辛さを乗り越える時の指針になりました。
さらにこの十年、怒り続けてきた事柄(ブタを殴る・縁切りの呪い)その他もろもろが、あれ?いなくなった・・・? 南先生にお話ししたら、その時々の怒りがあるので、強く出たり、弱く出たりしながら、解消して行って、一喜一憂しなくなる、とのこと。猛烈に怒ることが心身に良くないのは想像できますが、大喜びも良くないと、聞いたときは、へえ?そうなんだと、意外に思いましたが、かつて大いに怒り、皮膚炎は心のサボテン化から来ると判り、祖母や母の介護を通り過ぎてみると、感情のブレが少なくなるのは、きっと素晴らしいことだろうと、思えてきました。まだまだ、そこまで行ってませんが・・・。
さらに、気が付けば、両手のビランが遠のいてきました。左の中指がザムザだったことを思えば、ここまで治ってほっと一息。まだ完治ではありませんが、そろそろゴールが見えてくるのかなぁと。ひとえに皮膚科に行かなかったことは、大正解でした。
皮膚は人体の一番外側にあるけれど、一番奥にある潜在意識と連動している。このことを確かめたくて始めたBilain Guilainでしたが、来月で11年目に突入する両手の炎症も、どうやら一段落となりそうです。
それでも、私は人生の中の「躓き」が皮膚に出る傾向は続くだろうと覚悟しています。死病から生還した折に、副腎皮質ホルモンの薬害の跡を皮膚に残していますので、そちら修復も出てきているのです。細胞は、やるべきことを、やるべき時に、淡々とこなしています。淡々と、怒らず焦らず淡々と、これが今後の私の課題です。
細胞に見習うべきと思いました。
中井久夫の本で心のうぶげを摩耗させないように治すという話を読みました。
細胞にまかせ、淡々と過ごしていけば、そのような結果になるかもしれません。
興味深い話を今日もありがとうございます。
心のうぶげを摩耗させない。すごい言葉!
繊細な状態、生まれたままの状態を保ちつつ進む。
細胞がちゃんと分裂して新陳代謝するように、動かしているお力のままに進む。逆らわない。
アダムがリンゴを食べたという言い方は、お力に逆らったという意味だから、逆らうと、ろくなことはない。
さらに突っ込むと、リンゴは口から食べるもんじゃない。心で取って、心で食べなさいの意味だから、
やっぱり、心のうぶげは大事、うぶげって状況を敏感に感じ取る働きがありますもんね。
涼さん、素敵なコメント、ありがとう!