おまかせの境地
おまかせの境地
おまかせの境地になる。これからしばらくこの練習になるなぁ。越し方三年、不安に苛まれていたのは、ここに辿り着くためだったかと、年の瀬に思った。なんか思うようじゃない。なんか妥協ばかりしている。どうしてこうなんだろう? いや、これでいいんだ。いや、やっぱり違う。この堂々巡りに、ついに終わりが来た。おまかせってカラッポになること、これを練習したい! 南先生が重心を下におろして地球の中心核まで下ろすようにすると、頭が空っぽになって、自分の思い描く世界が実生活に展開すると話しておられたあの境地、なんだかつかめそうな気がしてきた。
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ふと手を見ると、ビランが去り行く・・・あのプラスチック指から14年。左大腿部も痛いけど、左仙腸関節の引きつりが、ついにほぐれてきた感じ。これは過去生から来てるから、今生でついにほぐれる時が来た。左側の滞りに耳を澄ますと「満足」という言葉がやってきた。満足、満ち足りる、こういう想いを、自分に許していい。よかったんだ。
最近、夢を見なくなったけど、潜在意識と顕在意識の境目がなくなってきたから。でもまた見たいな。美しいヴィジョン、向こう側からのプレゼント! 今まで結構もらっているから、しばらく来ないかな? そうそう暮れにグノーのファウストの業罰と子供の頃、冬休みに見たソビエト映画の「人魚姫」と再会した。悪魔に魂を売ったファウスト博士は、結局、地上で愛したマルゲリーテが聖母におとりなしを願って救われる。メフィストフェレスの企みも絡んでいたわけだけど、自分を死に至らしめた男を死んでなお許す。この純愛! ソビエト映画の人魚姫も、その路線で、なおかつ姫のために死ぬ男まで出てくるところがニクイ! ドストエフスキーを生んだロシアの文学畑ってやっぱり肥沃なのです。こんど姫とファウストのことをぜひ書きたい。これが新春のお告げでありました。
最近いんぱるぱぶれな時間が少なくなってしまって・・・去年は何して遊ぼう?で始まったのに、ぜんぜん遊べなかったから、今年は遊ぶぞ!と思っていたら、ひよこ天使がやってきた。そうそう、卵の料理人との物語も忘れちゃいけない。嗚呼ガンバロ。そんなこんなで、上目遣いの新春でした。
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しかし、絵が変わったねぇ、ひよこさん。
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