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通り過ぎる者

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通り過ぎる者 納涼大会の怪談話じゃないけれど、もう一人の自分が現れると死の予兆になるという話がある。実際うちの先祖には、もう一人の自分を目撃して三日後に亡くなった人がいる。じつは自分も、もう一人の自分に遇っているけれど、べつに死ななかったので、ちょっとその辺りのことが気になっている。

私と私 もう一人の自分に出会う。私がドッペルゲンガーという言葉を知ったのは、シューベルトの歌曲からだった。家には歌曲の楽譜が揃っていて、最初に弾いてみたいと思ったのは「水の上に歌う」だった。ピアノの伴奏を練習するうちに、当然ほかの歌についても話題になって、家人が「影法師」という歌がすごいという。弾いてみると、ゆっくり重々しく、低い和音の連打で始まるその曲からは、確かにただならぬ雰囲気を感じた。すぐさまフィッシャー・ディースカウの歌も聴いてみる。ハイネの詩で「静かな夜、街は眠っている・・・」と始まる。そして曲が進むにつれて和音がどんどんクレッシェンドして行き、夜の暗い壁のところに立っている自分の分身に出会った男が、なんだってそんなところでかつての苦しみをむしかえしているんだ?と、呼びかけるクライマックスでバッサリ終わる。もちろん苦しみの原因は恋である。

ハイネのドッペルゲンガーは悲恋における苦悩と絶望の象徴だ。ドッペルゲンガーってそういうものなんだろうか? いろいろ知りたくなって、調べてみると。

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ドッペルゲンガー

♬ シューベルトの「影法師」♬

ナタリー・シュトッツマン様のyoutubeへリンク。こちら2006年東京のコンサートをテレビ収録したもの。この公演行きました! 「影法師」対訳付きで解りやすいです。もうひとつ、一番最初に聴いたフィッシャー・ディースカウ先生の歌唱、ゆっくりしたテンポで言葉がくっきり歌われるので、情景が真に迫ってきます。たとえ言葉が解らなくても音楽は心に届くものだからとおっしゃるドイツの正統派。まずここから聴き始めたのは正解だったかも。ナタリー様はフランス人で、ディースカウ先生より四半世紀ほど先輩格のハンス・ホッター先生にドイツリートを師事。ホッター先生はできるだけ自然に歌うことを強調されましたと語っておられました。ナタリー様、教えに忠実な方と思います。ホッター先生は親日派でカラオケ大好きだったとか。

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私と私エドガー・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」も分身がテーマで、こちらは分身を刺し殺すと本人も死ぬ話。ドリアン・グレイみたいだなぁと思いつつ、自分の前にもう一人の自分が現れたら、殺そうと思うものだろうか? ドッペルゲンガーは敵意に満ちて現れるのだろうか? さらに知りたくて次に向かう。

私と私 ミュッセの「12月の夜」。これは黒い服を着た分身が、詩人の人生の節目に節目に現れる韻律詩。青春、恋、人生の荒波、そして亡くなった父親の枕辺に詩人が跪いているとき、ついに分身との対話が始まる。そして最後に分身は素性を明かす。友よ、私は「孤独」なのだと。ミュッセのドッペルゲンガーは孤独の化身だったのだ。

試練を乗り越えなければならないとき、人はいつも孤独だ。もちろん見えないお助けはあると、自分は実感しているけれど。ジュワルクール大師は、道を究めるには「孤独」になる覚悟をしなさいと言っている。大師によれば、孤独は孤独に終わらず、孤独に耐えたそのあとは、人々とより親しくなることができるという。

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私がドッペルゲンガーに遇ったのは、ちょうど鬱から抜け始めた頃だった。絵と文で何かやりたいと模索中で、絵が上手くなりたくて毎日練習していた。その日は画材を買いに銀座へ出かけて、中央通りを歩いていた。そのとき分身は私の前を一瞬、左から右へ通り過ぎた。あら? すごくさりげなかった。

ドッペルゲンガーの出現に、何らかの心因性のものがあるとすれば、苦悩、絶望、殺意、孤独、みんな自分の中にあったに違いないけれど、自分探しの暗中模索、え~い、もどかしい!が当時の私だった。自分の何たるかが解らないもどかしさ。ではどうすればいいのかも、はっきりしないもどかしさ。私のドッペルゲンガーはもどかしさの混沌からやってきたといえるかも?

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自分探しの中で、描いていたのはなんと漫画だった。化け猫を拾った男の話。先日その原稿が出てきてびっくり。漫画はすごく地道な作業。自分はストーリー展開よりも、コマ送りで画面を動かすリズムに興味が行った。なのでGIF愛好は当然の成り行きデシタ。

猫と男・・・いま描くとこんな感じ

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鬱から仙骨の調整、そして波動修正療法に出会って、人がエネルギー体に包まれて生きていることを知った。過去生までさかのぼって、物事をとらえるという指針を得た。混沌由来の我がドッペルゲンガーを思い出しのは、満月(12日)で過去の出来事が浮かび上がってきたせいもあるけれど、過去は固執するためではなく、乗り越えるためにあると、もう一度自覚しなければならない。

ローム大霊の講和では、術を使えば分身は9体まで作れるという。次元界、幽界、霊界にそれぞれ3体づつ。そして分身が殺されたりしても、本人はかすり傷程度で済むという。(このあたり、西洋の視点と違うんだね)次元界は現実と紙一重のところにある場所らしい。それって、もしかして空間?

この空間という捉え方、最近の大発見。受胎告知のマリア様が「お言葉の通りになりますように」と応えたとき、マリア様は自分の「空間」を差し出したというのだ。これはシスター岡のレクチャーで伺ったサジェスチョンだった。

シスター岡はローマで「マリア論-Mariology」を学んでこられた方。レクチャーはシスター岡による 聖母の騎士会発信の動画 (youtube)です。

そして空間は、エネルギー体たちの場所、 霊妙な世界へ続く場所ではないだろうか?

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通り過ぎる者 シューベルト先生たちや、うちのご先祖が生きていた頃から、早くも200年近く経っている。これからの時代は個人単位にとどまらず、多くの人が目に見えない世界について気づいていくことになるという。次元上昇が話題になったりするのも、民主主義と社会主義がぶつかりあったりするのも、そういうことが原因らしい。

通り過ぎる者たちがどこから来てどこへ行くのか? 彼らの現れが何をメッセージしているのか、少し謎が解けた気がする。

通り過ぎる者

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