悪魔の誘惑
悪魔の誘惑
不思議倶楽部の利用規約や利用ガイドなど「決まり作り」に専念していたら、4月はひとつも、いんぱるぱぶれな時間を持たないことになって、これじゃ嫌だなぁと思いつつも、自分でやらなきゃ誰がやる、まだスタート地点にも立っていないんだから、というわけでした。春水先生によれば、新しいことを始めるなら、今年は9回はチャレンジしてください。それで駄目ならきっぱり引く、引き際も大切ですとあった。今年のラッキーナンバーは9、え~い負けるもんかと、わが身を鼓舞しておりマス。
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このところ考えていたのは「人はパンだけで生きるものではない」で有名な悪魔の誘惑についてデシタ。「パンのみで…」の一般的な解釈は「人は物質(食べ物)的な満足だけで生きるものではなく、精神的な充実も大切である」というものらしいですが、それじゃちょっと表面的に過ぎると考えていたのでした。
というのも、年の始めから読んでいるトートによるヴォイニッチ解説の中に、集合夢というのがあって気になっていたからです。集合夢とは人類が作り上げたアストラル・レベルのイリュージョンのことで、アリス・ベイリーの「キリストの再来」にも載っていて、このアストラル・レベル、つまり感情のエネルギー体を無視して「人はパンだけで…」の教えを考えることはできないなぁと。もっと詳しく知りたい、その実態に迫りたいと、思ったのデシタ。この集合夢は、南先生がコンシス便りでもよく取り上げておられる人が本来持つ力、真我パワーの発露を妨げる恐怖や不安の集合体だという視点に立ってみると、見えてくるものがありました。
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そもそも悪魔がどういうわけで、イエスのところへやって来たのかといえば、40日間、荒野での苦行(断食)を終えて、空腹を覚えたイエスのところに悪魔が試みにきて、神の子ならこの石にパンになれと命じたらどうだ?と言ったのでした。石がパンになる・・・食うに困らなければ、それでいいじゃないか? しかしながら既に40日食わずに過ごしているわけで、それは食わなきゃ命にかかわるという不安を克服したこと、つまり不安とか恐怖は、刷り込みに過ぎないと、イエスは身をもって示したということじゃないのか? 日常生活の中には、食べなければいけない、具合が悪くなったら医者へ行くなど、様々な刷り込みがあって、それらが覆ることは滅多にない。そうして「悪魔に飼いならされて」不安や恐怖におびえて生きているのが、人類の実態だとしたら? この悪魔ってヤツも、アストラルが投射した幻影であるとか、実は実態なきものとさえ言われている。そしてイエスの答えは「人はパンだけで生きるものではないと書いてある」だった。この書いてあるが重要で、書いてあると応えることで、悪魔を論破してヘコましたのではないってところが肝! 悪魔の誘惑(問い)に、大原則を示すことで、悪魔を去らせているんだから、感情体のイリュージョンに囚われている人類が、どうしたらそこから抜け出せるかも、示されていると思えるのデシタ。
ここまで読み込まないと、「人はパンだけで…」の先に行けないじゃん!が、モニカの気付きであります。感情体のイリュージョン、集合夢を克服することが、今の目標です。
さて、赤いオベベのお嬢様、赤い月魔の誘惑をこんな風に退けたのでした。
だ~れ? 色仕掛けなんて言ってるの? 勇気よ、勇気!
アヴェ・マリア
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ちゃんと勇気が出るように、お守りパワーが付いているのが人類と教えているはロームさん。なので、お守りに気が付いたら、御礼、敬礼致します。そうすると守護霊団の方々は、喜ぶんだって。モニカもハイゴさんとの対話を続けています。
いんぱるぱぶれな時間の中で、生まれてくるキャラ達と今年はもっと遊びたいなぁ。月魔くんは赤い悪魔の中で描きました。4年間、書きためたアニメーション・エッセーもまとめたい。そして恋人たちの絵。不思議倶楽部のスタートまで頑張ります。
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