きいろ金色
きいろ金色
最近、胃が痛かった。と、思ったらお腹も痛くなった。変だなぁ。めったにお腹なんか痛くならないのに。食べものが変わったから? この半年ほど出来合いを買って食べるということをやってみた。これは何年もやらないことだったけど、試しにやってみて、やっぱり自分には必要ないかなぁと思った。フルタリアンになってから、加工食品とか調味料には無縁だった。でもこの腹痛は、食べ物のせいじゃなさそう。もしかして好転反応?と思っていたら、霊体の修復が起こって合点がいった。これはヘソの問題だったのだ。実際、ヘソの中からジクジクしたものが出て治ったから。
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時を同じくして、シトリンの丸玉を入手した。きいろ金色の黄水晶はヘソの石。水晶とは長い付き合いなのに、シトリンは無視していた。学ぶ準備が出来た時、教師が現れると言うのは本当で、去年からヘソに関してじわじわと時が来ていた。天使のヘソでも書いたけど、ヘソは肉体的なエネルギーを精神的なエネルギーへつなげていく重要なポイント。ではどういう風に重要なのかと言えば、それが判っていなかった。
黄色が嫌いだった祖母が亡くなってから、セーター、炊事手袋、タオルなど、身の周りに黄色が集まった。黄色があるとなんか幸せ。たとえば美味しいお茶はきいろ金色。これはとあるお茶屋さんのうたい文句で、緑茶といえば緑と思いきや、タンニンとうまみ成分がきちんと出たお茶は、確かにきいろ金色になる。
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きいろ金色のシトリンは、温め、なぐさめ、元気づけるお日様みたいで、丸玉をまわすとスターが出ている。右手に持ったらジンジン響いて、なんだか嬉しくなって、声を出してアタシは笑った。忘れていた。こういう自分の中から楽しくなるエネルギー。笑っていいんだ。楽しくていいんだ。霊止(ひと)の本分は喜び。それが魂の力。ヘソが肉体的、物質的要素を精神的な領分へ橋渡しするとは、現実問題を魂の視点から見つめ直すこと。魂の視点、魂の要素を日常生活に持ち込むと、どうなるかやってみること。これが重要なポイントの始まりだった。それなら魂の視点、魂の要素とは何だろう? まず手始めにできることは、何であれ喜ぶ心でやってみること。悲観して、どうせ駄目だと思ってやらない自分を変えること。ぱっと思いつたことを行動にうつす。緑茶入れよう→ジャスミン茶の方がいいかな?→ぱっと思いついたのは緑茶だから、緑茶を入れる。美味しいお茶はきいろ金色。こんな風に簡単なことから始めて、あるとき重大な決断も、ぱっと心に浮かんだことをやる。こうして魂目線を鍛える。
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黄色い薔薇をもらった。信心深いその人は「マリア様に…」と言って花を差し出した。私の中の聖母へ捧げられた薔薇、薔薇よ知るや私の心。
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