そこに愛が!
そこに愛が!
そうだったのか! 私は膝を打った。「献身的な看病により回復を見た」なんていうから、献身はなすべきことだと思っていたけれど、献身より大切なのは霊的に独立した心。なぜなら献身する人に独立した人はいない。献身とは一つの考え、独りの人への囚われだから。 これは私にとって、神の一撃だった。
アリス・ベイリー著「新時代の弟子道シリーズ2 瞑想に関する教え」より
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そこで私は考えた。献身とは義務への囚われではなかったかと? 別れた夫との子供を引き取るのは、愛か、義務か? サジェスチョンは我が家の悪しき母たちだ。私の祖母と母のことなんだけど、祖母は祖父と別れる時、子供を捨てるつもりだったけど、やっぱり捨てることはできなくて、母も再婚した祖父の元で継母と暮らすことは望まず、生みの母と生きる選択をした。祖母の心は生涯複雑だったろう。そして母も、自分が疎んじられているのを知っていた。
男も女も、女から生まれる。女の性(さが)は強く、そして業も深い。悪しき母たちの後ろ姿を見送った私は、彼女たちを大好きじゃなかった分、客観的に見てとった。そして解かったのは、いくら憎もうと嫌おうと、人の心の中には必ず愛の種が蒔かれていること。
すんなり愛に巡り合えなかった魂たち。今やあの世とこの世に分かれているけれど、その修行は続いている。だから霊的に独立した心を得るという言葉は、すごくガツンと来た。魂の視点に立つなら、もう親子だの、夫妻だのと、とらわれる必要はなかったのだ。連綿と続く魂の旅は、解放される未来、霊的に独立した心へと向かっている。
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地球人の一人ひとりが、霊的に独立した心を持っていれば、地球家族はもっと平和に暮らしていけるだろう。それなのに人類は、何千年も戦争を続けている。人は闘うように教え込まれて戦場に赴く。敵を倒す義務を果たすために・・・敵とは何だろう? それは自らが作り上げたイリュージョンではなかったか?
今も戦争が続いている。そこで考えざるを得ないところへ来た。みんなが地球という惑星の、健全な営みのためにできることは何だろうと? もうずいぶん前に、地球は自らの危機を感じて、宇宙の兄弟に助けを求めた。兄弟たちは地球のカルマに踏み込まないところで、日々働いているという。カルマの克服は、人類が自分たちでやるべきことで、それを肩代りすることはできないから、兄弟たちはもっと大きな惑星レベルの仕事に従事している。それは悪の住処の扉を閉じることだという。
クリスマスのミサで歌う「もろびとこぞりて」には「悪魔の岩屋を打ち砕きて、主は来ませり」とある。人類が強欲への野心(悪魔の岩屋)を打ち捨てて(打ち砕いて)みんなの意識が、善をなす生き方(キリスト意識)へシフトして行くという歌。♪も~ろびと~♪と歌っていると、だんだんみんな白熱して、いつの間にか声を張り上げて熱唱している。熱唱する心には、全ての人と友達になれるような喜びが満ちてきて、愛への憧れがあふれ出す。
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愛・・・そんなに難しいことじゃない。本当の自分に気がつけば、そこに愛があるのだから。
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