Blog いんぱるぱぶれ

そこに愛が!

そこに愛が!

そこに愛が!

そこに愛が! そこに愛が!

そうだったのか! 私は膝を打った。「献身的な看病により回復を見た」なんていうから、献身はなすべきことだと思っていたけれど、献身より大切なのは霊的に独立した心。なぜなら献身する人に独立した人はいない。献身とは一つの考え、独りの人への囚われだから。 これは私にとって、神の一撃だった。

アリス・ベイリー著「新時代の弟子道シリーズ2 瞑想に関する教え」より 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

そこで私は考えた。献身とは義務への囚われではなかったかと? 別れた夫との子供を引き取るのは、愛か、義務か? サジェスチョンは我が家の悪しき母たちだ。私の祖母と母のことなんだけど、祖母は祖父と別れる時、子供を捨てるつもりだったけど、やっぱり捨てることはできなくて、母も再婚した祖父の元で継母と暮らすことは望まず、生みの母と生きる選択をした。祖母の心は生涯複雑だったろう。そして母も、自分が疎んじられているのを知っていた。

そこに愛が
男も女も、女から生まれる。女の性(さが)は強く、そして業も深い。悪しき母たちの後ろ姿を見送った私は、彼女たちを大好きじゃなかった分、客観的に見てとった。そして解かったのは、いくら憎もうと嫌おうと、人の心の中には必ず愛の種が蒔かれていること。

すんなり愛に巡り合えなかった魂たち。今やあの世とこの世に分かれているけれど、その修行は続いている。だから霊的に独立した心を得るという言葉は、すごくガツンと来た。魂の視点に立つなら、もう親子だの、夫妻だのと、とらわれる必要はなかったのだ。連綿と続く魂の旅は、解放される未来、霊的に独立した心へと向かっている。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

そこに愛が! 地球人の一人ひとりが、霊的に独立した心を持っていれば、地球家族はもっと平和に暮らしていけるだろう。それなのに人類は、何千年も戦争を続けている。人は闘うように教え込まれて戦場に赴く。敵を倒す義務を果たすために・・・敵とは何だろう? それは自らが作り上げたイリュージョンではなかったか?

今も戦争が続いている。そこで考えざるを得ないところへ来た。みんなが地球という惑星の、健全な営みのためにできることは何だろうと? もうずいぶん前に、地球は自らの危機を感じて、宇宙の兄弟に助けを求めた。兄弟たちは地球のカルマに踏み込まないところで、日々働いているという。カルマの克服は、人類が自分たちでやるべきことで、それを肩代りすることはできないから、兄弟たちはもっと大きな惑星レベルの仕事に従事している。それは悪の住処の扉を閉じることだという。

愛で クリスマスのミサで歌う「もろびとこぞりて」には「悪魔の岩屋を打ち砕きて、主は来ませり」とある。人類が強欲への野心(悪魔の岩屋)を打ち捨てて(打ち砕いて)みんなの意識が、善をなす生き方(キリスト意識)へシフトして行くという歌。♪も~ろびと~♪と歌っていると、だんだんみんな白熱して、いつの間にか声を張り上げて熱唱している。熱唱する心には、全ての人と友達になれるような喜びが満ちてきて、愛への憧れがあふれ出す。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

愛・・・そんなに難しいことじゃない。本当の自分に気がつけば、そこに愛があるのだから。

関連記事一覧

  1. 霊界にて
  2. 消える時
  3. キラとピカ
  4. 本当はやりたくないこと
  5. アジサイ
  6. 妖精殺し
2022年12月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

アーカイブ

最近の記事

  1. 恋人たちの脚
  2. melts sweetly

    2024.11.18

    心と体の一致
  3. 2024.10.30

    黒髪と緑の目
  4. 2024.10.27

    帽子
  5. 笑う猫子さんたち
Banner

歩き回る植物

PAGE TOP