ガブリエルの歌
わが魂(たま)をゆだね
行こう
天津使いのガブリエル
歌え踊れ
朝(あした)は早く起き
起き出でて
目を覚まし
あのガブリエルの歌を聞け
幼い祖母はこの「ガブリエルの歌」をアメリカ人の宣教師ローラー・グードウィン先生から教わった。そして生涯歌い続けていた。だから、私も覚えてしまった。
幼い祖母が函館で暮らした家は、黄色に塗られた洋館で、アングリカン(イギリス国教会)の宣教師たちが出入りしていた。曽祖父は新聞社をやっていたので、何かと人の出入りがあったらしい。曾祖母は宣教師たちから西洋料理を習った。幼い祖母はシュークリームの皮がオーブンの中で焼けるのを見て、膨れたとか、しぼんだとか言って、一喜一憂したと言っていた。三つ子の魂百までもと言うけれど、幼い時に触れたものは、生涯その人の中に留まり、生き続けている。祖母の家は基本的には神道だったけれど、考え方の根底には、グードウィン先生の蒔いたキリスト教的な種があったと思う。
馬小屋の中に
眠れ神の子
み使いは み空より
汝(なれ)お守り唄を歌う
薔薇の花敷きて
眠れ神の子
み使いは み空より
汝(なれ)お守り唄を歌う
これは「ギリシャの子守唄」で、赤ん坊だった私は、これで寝かしつけられていたんだけど「眠れ神の子」のところにくると、大声で一緒に歌って寝なかったのを覚えている。私がちっとも眠らないので、祖母はがっかりしたと、問わず語りに話していた。
祖母は4度目の卒中に倒れて意識不明になった時、受洗した。いわゆる天国泥棒だ。それが許されたのは、やはり生涯歌い続けていたガブリエルの歌、グードウィン先生の蒔いた種が静かに育っていたからだと、思えてならない。
私にとって介護とは祖母の、そして母の後ろ姿について考えること以外の何物でもなかった。それは彼女たちが帰天した今も続いている。いや、これから私が死を迎える日まで、彼女たちの後ろ姿から学ぶことが、きちんと死ぬ為のよすがになるのだ。これは今を生きる私たちみんなに、課せられたライフワークではないだろうか。それゆえ私たちは今、少子高齢化という社会の中に立たされている。介護と言うと、食事やおむつや施設入居の心配ばかりが言われるけれど、介護を終えてみると、それらは枝葉のことに過ぎないと思える。人間にはもっと大切なことがある。介護を通して、老いることをもっと真剣に、死ぬということをもっと積極的にとらえることが見えてこなければならない。それこそが、今ここに存在すること、先祖代々の営みが血肉となっていること、そしてその根本に、命を、魂を育む、高き存在がある。そこまで考えてごらんと、老いて死を迎えた魂たちは、あの世からメッセージしているのではないか?それが、起き出でて目を覚まし、大天使ガブリエルの歌を聞くことにならないだろうか?
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