恋は雲の流れる速度で
恋は雲の流れる速度で
流れゆく雲を眺めるように、自分を観察する瞑想があるそうだけど、子供のころなら、草に寝転んですぎゆく雲を眺めるって、きっと誰でもやっていた。ぽかんとからっぽになる時間、いつから忘れてしまったのだろう?
ここ数年「一年の計は元旦にあり」とばかりに、啓示をうけていたけど、今年は大試練を賜っていた。生活を変えたくて四苦八苦。思えばこれ、もう二年くらい考えあぐねていたことだった。しかし全くヴィジョンが浮かばない。こういうときって、頑張っても駄目だってことが、よく解った。からっぽになる。するとちゃんと入ってくる。でも出来ないんだ。
結果として落ち着くところに落ち着いた感はある。天中殺も1月で抜ける。きっと4月辺りから何か新しいことになると、自分の深いところでは解っている。しかし焦燥感たるや、ひどいものだったし、追い打ちをかけるようにビランが悪化して、これホントに治るのか? なんて絶望しそうだった。ザムザから復活したんだから、治るに決まってると頭では判っているけど、痛めつけられると心が折れるんだ。え~い今日一日ガンバレ!なんて自分を励ましつつ、早二週間? まだひどいけど、ちょっとはマシになったかな。
以前はこういう症状の絵を描く気がしなかったけど、今年は何だか描ける気がした。もう慣れっこになった?
このビラン、今の時世をきっかけに 出てきているように感じます。 何かをきっかけにして出てくる 過去のカルマもありますから、 その時々の精神状態を 確認することも必要に思います。と、南先生にも言われたんだけど、これはカルマだね。何事につけ忍耐しなければならないことを、避けてきた自分。そういう今までの業。たぶん、ご先祖の分も背負っているのが人生なんだろうし。思えば去年もこうだった。顔に炎症が出て、花粉のせい?なんて、ひとに聞かれたっけ・・・。今年は手にも顔にも体にも出ている。頭皮の内側にもなんか出ている感じ。これは経験から言うと、内分泌腺が変化しているところ。5年に一度くらい、こういう時がある。そのうち治まるんだからと、自分に何度も言う。治癒って孤独な作業なんだから。
そうこうするうちに過去に描いた作品とご対面。「恋は雲の流れる速度で」を描いたのは、まだパステル画をやてっていたころ。当時の絵で絵葉書を数種類作って、個展やグループ展のときに売っていたんだけど、誰が持っていたのか? ヤフオクで十把一絡げで売られていていた。そうそう、こういう絵を描いていたんだねぇ・・・。
彼女がひよこ天使の原型。パステルからフォトショ画に移行したのは必然だったかなぁ、なんて思うこのごろなのであります。全ては原子という粒の振動で出来ているから、顔料の粒子であるパステルは、描画にぴったり。パステルの粒子と画素って同じ路線だなぁと。
手がひどくならなかったら、きっとまだパステルの日々だったろう。フォトショ画でGIFにもめぐり逢えたし。その意味でビラン・ギランよ、ありがとう! されど、両手でサクリファイス。神よ、われら(アタシとご先祖)の罪を許したまえ。
こんな絵も描いていた。音楽を奏でる日曜日。気ままな中にも、演奏する緊張感と曲の世界に入っていく高揚感があって、心のオリを洗い流す。ピアノを弾いていたかつての日常を想いつつ、この黒髪の女性像が猫子さんたちへつながって行った。
しばらく続きそうだなぁ、過去の自分の作品めぐり。というわけで・・・
つづく
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