ろうそく
ろうそく
照明が明るいと、ものがはっきり見えるから健康的だ。薄暗いとムーディになる。春水先生は、暗闇で鏡を見ない方がいいですよと、教えてくださった。陰の気に引き込まれ過ぎるからだ。こんな風に明るさには精神的な作用がある。電気がまだなかった時代を生きた我が先祖の一人は、暗い夜にスピリットに出会っていた。電気照明のない夜、闇が長かった頃、人々が明るさに神聖さを見出していたことは、容易に推測できる。
イタリアの画家カラヴァッジョの絵を、絵が置いてあるその場所で見るというライフワークをやっている絵の先生と、仲間たちで、北イタリアを回るツアーに参加したした時のこと。ちょうど神社のお賽銭箱に小銭を入れるように、行く先々の教会では、小箱にお金を入れて、ろうそくをお供えできるようになっていた。ろうそくは訪れる人々によって、途切れることなく灯されている。自分も一本灯して黙祷したら、ツアー中のそわそわした気持ちが、落ち着いたのを覚えている。
たくさんのろうそくの灯がゆらめいている聖堂内は、何百年もの間、人々に祈りこめられてきた独自の雰囲気、祈りの場所が奏でる神へのハーモニーを醸していた。その光景の中にあって、ろうそく・・・ろうそくって何だろうと、私は考えていた。その時はその場に浸っていただけで、よく解らなかったけれど、いつかここに隠されている意味を知りたいと思った。
本の編集で、春水先生にお話を伺っていた時、線香について教えて頂いたことがあった。今でこそコンビニでも、線香が買えるようになったけれど、昔はお許しの出た人しか製作してはならない神聖なものであったという。火を灯すと煙が一本、ぶれることなく立ち昇るさまは、ご先祖と私たちが一体となって天へ、高みへ昇る祈りだ。この話を聞いた時、とても気持ちが引き締まったのを覚えている。

だとしたら、ろうそくは・・・? 私の疑問はほどなく晴れる日が来た。それはやはりヴォラギネの黄金伝説Ⅰに記述があった。ろうそくはイエスのご聖体を表しているという。ろうそくのミツロウは、ミツバチたちから、肉の交わりなくして生み出され、芯は聖体の中に隠されている純粋な魂、焔は神聖な神、焼き尽くす火である。ろうそくを灯した時の神聖な雰囲気、安らぎ、私たちは無意識のうち、この神聖な光について感知している。具体的な言葉による理解は後からでいいんだと思った。心静かにろうそくの火を見つめる。現物がなければ、あの小さな火を思い浮かべるだけでもいい。神聖な光が心のどこかで燃えていることを、忘れずに、保ち続けたい。

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