本当好きなもの
本当に好きなもの
本当に好きなものが解らない。私はずいぶん長らく、そんな風に生きていた。嫌いなものを好きだと思い込もうとしていたのだ。なぜそんなことになったのかのかと言えば、家族が嫌いだったから。そんな自分の本心をねじ伏せようと、嫌いなものを好きだと思い込もうと努力した。この感覚は全てにおよんだ。好きでもない友達と付き合い、好きでもない部活に励み、家族が好きだというものを、何が何でも好きだと思い込んでいた。そうして本当に好きなことが解らなくなったのだ。こういう生き方は、鬱の原因になると、私は断言できる。

自分の中には罪悪感があった。とても大切にしてもらっているのに、その人達を嫌いだったから、自分は悪い子供だと思った。けれども嫌悪の原因が長ずるにつれて解ったので、自分の気持ちに決着がついた。両親とそのまた両親の結婚は、男女の相性が悪かったのだ。春水先生が言っておられた。子供が生まれるとは、男と女が気を合わせることなんだと。和合に入るとはそう言うことなんだ。男と女の間に愛があればいいけれど、嫌悪がある場合、子供に嫌悪が伝わるのは当たり前だった。
両親、またその両親の和合が悪かったとしても、そういう星のもとにだって、子供は生まれる。転生する魂の方にとっては、この世で学ぶ課題の条件がマッチしていればいいのだ。親子というもの、家族、家系というものの呪縛が、自分の中で強くなりすぎていたにすぎない。マッチングの条件さえクリアすれば、じつはそれほど、重要ではないのが親子関係というものらしい。これはアリス・ベイリーがジュワルクール大師によって著した秘教学の本に書いてあったことだった。
思えば自分はあまりにも両親と疎遠なまま生きてきたので、親子って自分が思っているほど強いものじゃないんだと、納得した。両親やその両親たち、そして先祖たち。近視眼的呪縛から解放されて、客観的に見られるようになると、自分の中にも、尊敬の念がきちんとあることに気が付いた。家族はすでに老年になり、自分も中年になっていた。そうして今や自分以外、みなさん、あの世の住人だ。
罪悪感の曇りガラスを通して見ていた世界が去ってみると、嫌いなものは嫌いでいいし、好きなものを好きと言ってかまわない。こんな常識から自分が遠く、生きていたことが、今では不思議でならない。そんなこともあったなぁと、流して行こう。
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