Inner-Bodyの記憶
Inner-Bodyの記憶
現世で脚を怪我した場合、次の人生でそれが頭の障害として出ることがあると、シュタイナーの本で読んだ。仙骨の中に魂の経験が残ることをすでに知っていたので、そういうことになるんだと、印象に残った。その後、波動修正療法を始めて、怪我をすると細胞にその記憶が残るので、怪我をした細胞の波動を修正しておくことが大切だと、南先生から伺った。10代の頃、自分は左膝を怪我していたので、Inner-Body(内なる心身)の記憶について、真面目に考えるようになった。
怪我をした当時、学校の体育の時間に発表する創作ダンスの振付に熱心に取り組んでいた。当時は身体を使って人前で発表すること、ダンスや演劇に興味を持っていた。そんなさなか「ちょっと待った!」をかけるように膝を怪我して、動くことが不自由になった。興味は暗転。それから間もなく鬱にも突入した。怪我をしたから鬱になったのではなかった。鬱はもっと以前、生まれて間もなく絶望したことが原因だったし、身体表現に向かうのは、筋違いだった。本当の私は人前に出るより、一人静かに過ごす方が向いていた。当時の状況からすると、身体の成長が早かったので、みんなより背が高くて大人びていたので、人目についてしまい、何かと指されたり、イベントのリーダーを任されたりしていたので、子供心にこういう風にしなくてはならないんだと、思い込んでしまった。本当はそうじゃない方がよかったのに。
負の感情が、頂点に達した時、怪我が起こるんですよと、南先生から教わったので、今なら事の次第がよく判る。酷使してもいないのに、首や腰が痛んだり、肩コリがひどかったり、虫歯じゃないのに歯が痛い、なんてことがあったら、身体のバランスが歪んでいることが多い。波動から物事を考える習慣がないと、昔の怪我が、首の痛みの原因だと、すぐには思いつかないし、ストレス(想念)が微細体(エネルギー体)にずっしり乗っかって、エネルギー詰りを起こしているなんて、考えもしない。南先生曰く、精神的なダメージは早く治りますが、身体の方は長くかかりますよ、と。そうです。身体が受けたダメージは、修復に長くかかっています。
4年前のお盆明け、おつちに書いたように「ぶり返し」が起こった。もう一度、左膝をグキッとやってしまった。ぶり返しは改善作用のひとつで、そこを修復するために、怪我をした当初よりは軽いけど、同じことがもう一度起こる。ホメオパシーなんて呼び方もある。私の場合、怪我をした箇所に張り付いていた想念が大きかったので、身体中にロックがかかって不自由だったし、そこには「ああ、嫌だ!」の嫌悪と「またもや痛い目に!」の恐怖があった。しかし、この嫌悪と恐怖に戦いを挑まない、受け入れる、心穏やかに過ごすと、自分に言い聞かせて、マリアマリアで自分を支えた。
「ぶり返し」は波動の修復とともに、解消する。ロックは解除されて「また怪我をしたらどうしよう!?」の恐怖も薄らぐ。でもまだ修復中だから、油断は禁物。そうしてやっと、このところ左膝をまっすぐ伸ばして地面につけることができるようになった。足の裏でしっかり地面をつかんでいる感覚が戻ってきた。怪我から幾星霜、そしてホメオパシーが起こるまでいくとせ、さらに回復に、またまた余年。それでもInner-Bodyの記憶は、細胞の波動修正と共に癒えて行く。
それなら魂の方はどうなっているの?って思うけど、身体がどんなに損傷を受けようと、精神的に打ちひしがれようと、どこ吹く風。何事もなく、美しいまま、存在している。魂とは、そういうものらしい。
怪我には怪我をする必然がある、という考え方を初めて聞いた時はとても混乱しました。
時を経てモニカさんの文章を読み、なるほどと思うところも大いにあります。
水ように器に合わせて柔軟になりたいなと思いました。
水のように。本当ですね。
負の想念をどんどん流して行けるなら、
大難が小難に、小難が無難にと、過ごしていけそうですが。
何かが起きた時、状況と闘わない。ここはポイントかなぁと。
剣豪という方々も、極意は和合であると、言っておられるし。
今なら、コロナと闘わない・・・う~ん、難しい。
でも、ここにはヒントがありますね、きっと。