気にしない
気にしない
昨晩は首の右側がピリピリして、右足中指のささくれが痛んで、その前は座骨がジンジンして、右肘も痛かった。え~い!これが改善作用と言うものだ。と、ホットパックを首にあてて、さっさと寝てしまう。
今日は遠隔治療の日、南先生に痛かったことを言わなくちゃと、思っていた。ところが、治療中に、そうだ、もうこういうこと、気にしなくていいんだったと、合点した。

右足の中指は、鬱が一番ひどかった時、転地療法を試みて、行った旅先でぶつけたんだと、思い出す。鬱の原因は、家族嫌悪だったのに、その家族と出かけたんだから、ホントに解っちゃいなかった。自分だけ先に帰宅して、ほっとしたのを思い出す。自分は何かを求めて走り回るようなタイプじゃなかった。だから転地なんて無駄だった。場所を移動したところで、心の座相軸が変わらなければ何にもならないじゃあないか! おっと、思い出にハマっているのはここまで。ここで「ああ、そんなこともあったなぁ」と、流してい行くんだった。
治療後、南先生から治療結果のメールを頂き、こちらからも、色々出ていますが気しないようになってきましたと返信する。
本日の治療時間は、久しぶりに10分を切ったから、色々出たお陰で、すっきりしたに違いなかった。今までは、何かが起こる(病気になる、怪我をする、そのほか諸々)には、原因があるんだから、原因を理解しなくちゃ、追求しなくちゃと、思いつめていた。
原因を追求しない・・・じゃあない。追求しなくても解るようになったから、もうそこへ、過去へ、戻らなくてもよくなったと、言うべきかも知れない。
先生からも「今ある症状を気にしなくなったことは、 当時あった執着も薄らいできた証になります。」と、伺った。確かに転地療法=最悪の旅行への恨みは薄らいでいた。旅先で足の指をぶつけて、ひどく腫れあがったのが呪わしかったんだけど、あれが執着、情念などのドロドロした世界の現れだったと、今なら察しがつく。怪我は、負の感情が頂点に達した時に起こると、南先生に教わった典型だ。
先生から「ドロドロした世界はなくなりませんから、その域から早く卒業して、クリーンな世界観を味わって頂きたいです」と、アドヴァイスを頂いた。クリーンな世界観・・・という夜明けは近い?
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小さなことで、くよくよしない。すると、幸せが来るよ。もちろん、小さな気配りは大切だけどね。
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