ただ地平線があれば
ただ地平線があれば
夜なべして、ブログの文章を打っていると、右側の白い壁にチロチロと黒いものが走った。出た!夏は窓を開けるので、シーズン中は二度三度、ゴキにお目にかかる。一階の空間には、何も生活臭がない。食べ物を置いていないので、彼らはホウ酸団子を食べて死ぬ運命だ。私はスリッパで壁をねらったものの、わざとみたいに外した。ゴキはエイリアンじゃない。彼らとはそれなりに和解したんだから、勘弁してやる。というわけで、私は再び文章に向かう。翌日、廊下でこと切れているところを発見、処分!(拍子木の音!)
もし、ここが家なんかじゃなくて、ただの草原だったら、ゴキが出ようが、何が出ようが関係ない。家があって私がいるから、彼(ゴキ)は死ぬ。もし、ここが家なんかじゃなくて、ただ地平線があって、そこに風が吹いているだけなら、地震が来ようと、嵐が吹き荒れようと、何ごともない。最近、よくこんな風に考える。
地震がくる。台風がくる。すると不都合がある。傲慢かも? なんて考えてみる。地震が揺れ始める。主よ、憐れんでくださいとつぶやく。大雨の恐れなんてニュースを読むと、ただの高気圧になりますようにと祈る。以前より、凶暴になったお天気、自然災害。地球という大家さんが店子である人類を振り落とそうとしているとか、地球神が怒っているとか聞くと、ホントホントって思う。
タルコフスキー監督お得意の、空中に浮かぶ人物を思い出す。遺作のサクリファイスでは、愛をかわす男女が空中に浮かんでいるシーンがある。魔女との交わりで核の恐怖から癒された男が、自分の持ち物すべてを焼き払う、いわば燔祭の犠牲を奉げる=サクリファイス・・・。
何かが成就する時、次元が変わる。男女が愛を交わす。これも本来、次元チェンジ。人類には物質界から高次元へワープする能力が与えられている。万物の霊長は、ホウ酸団子を食べて死んじゃうゴキとは、やっぱり違うんだと、わが想いもワープす。
動画の二人の体が上下に弾んでいるように見えるのは空中に浮かんでいる表現なのでしょうか?
あっは~☆
描き直しました。
これなら判る?
よくわかります。
お手数おかけしました。