男と女
男と女
本日、雛祭り。10年ぶりに、親子三代の雛人形を並べている。学生の頃、雛祭りの起源はオシラサマと言って白木の棒杭を並べて、豊穣を願ったのが始まりと聞いた。棒杭は男性のシンボルで、柳田邦夫先生のお弟子先生の講義だったから、民俗学的視点なのだろう。
棒杭が人型になり、身代わりに厄払いをする形に変じて、さらにカップルの最高峰の象徴として、天皇夫妻というスタイルになって、女の子が無事に成長して、お嫁に行きますようにと、願うお祭りになった。並んだ内裏雛たちを見ていると、なるほどなぁと思う。
LGBTなんて言われるこの頃だから、女の子は大きくなってお嫁に行きますようには、紋切型にも思えるんだけど、人々の男女の認識、その越し方を想えば、自然な成り行きだったろう。
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祖母は男ばかり4人続いたあとの末娘だったので、大きな段飾りが家にあったと言っていたけれど、戦争を通り越して、いま家にあるのは一対の土雛ひとつ。そしてこれが女三代の雛の中で、いちばんモダン! 内裏雛たちは、すまし顔をしていない。お互い見つめ合っているのだ。女雛のほうは少しうつむき加減にあら、あなたねとほほ笑んでいる。男雛の方も、おヒゲの下でかすかに笑みを返しいる。モボ・モガの大正ロマンだねぇ。心なしか女雛は、おばあちゃんの上目使いに似ているような気がするんだけど・・・。
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さて、このところビランの痛みに悩まされていたので、ちょっと小休止。幸い左手は沈静に向かい、右手のビランもピークを過ぎたところ。さて眠ろうとベッドに入って、ふと右手の甲に触れると、ガサガサチリチリ、まさに苛立ちの変化(へんげ)だ。もっとうるおいのある心で暮らさなくちゃと目を閉じる。
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毎月おついたちに、南先生の機関紙が発行される。今月NO.180には人が異常波動から身を護るにはどうすればいいかだった。20項目が挙げられていて、始めに精神的に安定する(物事に動じない)次に、心の乱れをなくし、心を整える。とあったので、これ、いちばん難しいですと言ったら、これは目標であり、いっぺんに達成できるものではありません。目標達成のために、誰もがいろんな経験を積むようになっています。焦りなど、どうしても見え隠れしますが、これも乗り越えていくしかありません。先人たちも、それを乗り越えてきていますと、ご返信を頂いた。
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椅子に座って考えているとき、目を閉じて、ふと意識が飛んで、現実を離れることがある。しがみついている感情レベルのもろもろを、この時手放しているようなのだ。もはや通り過ぎたのに、まだ引きずっている嫌な思い出の数々。ビランは嫌だった過去の亡霊だ。手放して通り過ぎよう。そこをやり過ごすのも理解の一助、今生の課題をクリアすることになる。
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きょうは雛のお祝い日にして新月。エーテル体に新しい波動をキャッチしよう。今年は心に余裕が出来たので、雛たちを飾って考えた。神は人を、男と女に創られたと。
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愛を交わす恋人たち、男と女が和合の中で現実を手放す。そうして深い愛の世界に身を浸す。それから再び目を開けると、満たされた分だけ、少し現実は変わっていないだろうか? 満たされた欲求、うるおいのある心で。
満たされた欲求・・・癌は欲求が抑圧された病だという。男の方が女よりも、この抑圧に苦しんでいるのが現実で、欲求や感情表現を抑えつけることでは、問題の解決にはならない。適切に満ち足りる。ここを目標にしなければならない。アリス・ベイリーの『秘教治療・上』よりジュワルクール大師の言より。(モニカ多少意訳)
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