自分の何気ない行為が、のちのち、跡を残すようなことになる。シャーペンの芯を引っ込めようと、手の甲をチョンとつついたら、鉛筆の色素が肌に残った。最初は小さな点だったのが、10年、20年の間に4倍くらいになって、青黒いホクロになっていた。ある時、自分のやったことの始末をつけようと、思い立った。
イラク戦争が勃発した2003年の春だった。家から歩いて5分位の場所に当時は修道院があったので、私はよく夕方ミサにあずかっていた。ミサの後、戦争の早期終結のために皆で祈りましょうと、話しあったのを覚えている。あの時は、世の中全体が戦争に反対していた。隣町や大きな駅前でみんなが戦争反対、自衛隊派遣反対のためデモ抗議をした。世界の人もみんな戦争反対を唱えていた。アメリカでも今ほど世相と政治が乖離したことはないと言い、フランスは参戦しなかったのが印象に残っている。 けれども戦争は止められなかったし、自衛隊も派遣された。 そんな中、私は戦争反対の祈りとして、ホクロをとる、ということをした。「犠牲を捧げる」=「痛みをこらえる」というつもりだったのだ。
馬鹿みたいといえば、その通りだけど、当時は真剣だった。自分の何気ない行為が思っても見ない方向へ進む。戦争も事の起こりは、とても小さなことだったのが、次第に取り返しがつかないことになる。武器が持ち出されて、人命が失われる。どうしてもこの流れが止められない。
それでも駄目もとで、行動せずにおられない。私は祈りつつ、痛みをこらえて、表皮と真皮の間に食いついている黒い肉を切り取った。
イラク戦争は終結したけれど、今も世界は平和とは言えない。 祈りの場所だったあの修道院は、シスターたちの高齢化で閉院した。あの頃の私は、やりたくもない祖母のシモの世話に追われ、無能な母を呪って生きていたけれど、祖母も母も、もういない。 白いホクロ跡には、ビランが起きて、イチゴイボが治りかけているところだ。世の中、何も変わらないし、いいことなんて何もないと、言いたいところかもしれない。でも、私は自分が変わったことを知っている。現実の世界、霊の世界、もっと貴い神の世界があることを、実感できるようになったのだ。これは自分の波動が細かくなったから。あの当時、遠隔治療のことは知っていたけれど、まだ受診には至っていなかった。私にとって、ホクロ取りはひとつの戦いだった。私は戦うことばかり考えていた。呪っていた母が死んだ時、あの天から降ってくるような喜び、さんさんと降り注ぐ喜びがあると知ったので、私は変わった。あれから私が変わったくらいだから、世界だって変わっている。戦争も核もなくなっていないけれど、きっとそんなことは、神界の喜びの前には、小さなことなんじゃないか? 喜びは、降り注ぐ喜びは、今だって、この世に降り注いでいる。
壮絶な体験を経てしか到達しえない精神の景色があると思っています。
モニカさんは今、その景色をホームページ上に公開してくれていると思いました。
おばあ様の介護、お母さまに対する保護者のような逆転した関係性、
与えられた試練は過酷さが並大抵ではない。
自分など、一気にその二つが来たら潰れたと思います。
モニカさんには超えられる力があったので課題を与えられたのではないでしょうか。
コメントありがとうございます。あの世とこの世が作用しあっているという視点から、介護について振り返ってみようと思っています。家の年長者=過去の自分、そして現在の私、そして子孫という未来の自分。この三つの時間も、じつは永遠という一致の中でひとつ。ここを考えてみなければ。今宵満月、過去からのエネルギーを感じ取って、明日へつなげる時ですね。
モニカさんの考えておられる時間と存在、そして永遠についてのお話を伺えることを楽しみにしております。
大きな経験をした後で、それは何であったのかを考えていくと、考えは深まり、発見も多いですが、
なかなかふだんそれについて話を聞いたり、意見を交わす機会はありませんので。