心で受け取る
心で受け取る
太古の時代から、松の木が人類に生きるエネルギーを与えてきたと知ってから、松の木を見るたびに話しかけるようになった。そうして木の下を通り過ぎると、背中がゾクゾクするので、これはどういうことかと、南先生に話したら、天から常に注がれているエネルギーを背骨の髄液は、キャッチしているとのこと。そっか、宇宙から降り注ぐ正常波動、これを松の木が中継している。きっと植物はみんな中継点なんだね。
山野に行けばエネルギーだらけだから、修行者は山にこもるのだと思っていたら、怖い話に出会った。飯降山(いぶりやま)伝説。福井の昔話だ。
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山中で3人の尼さんが修行していると天から三つの握り飯が降ってくる。毎日三つ、降ってくる。仏の慈悲と感謝して食べているうちに、三つの握り飯を二人で食べたらもっとお腹いっぱい食べられると欲が出て、一番若い尼さんが崖から突き落とされた。その日から降ってくる握り飯は二つになった。一番年長の尼さんが、二つを独り占めしようと相方を葬ると、握り飯は降ってこなくなって、尼さんは発狂してしまった。
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天の恵みが人の情念で、悪の誘惑に変わる。そこで判った。知恵の実を心で取って食べればよいとの意味が。エバがリンゴを心で取って食べる。尼さんが心で取って握り飯を食べる。そういう食べ方を思ってみる。
そういえば春水先生の先生は、寄進の札束をお供えして拝んで「確かに頂いたよ」と、現ナマはお返しになる、受け取らないと伺った。心で受け取ることができれば、現物はいらない。そういう生き方があるんだ。
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肉体という扉から入って、愛は心に辿り着く
背景が空白になるのは、表情を描きたいから。心を描きたい。
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