カラー
カラー
二輪目のカラーが咲いた。白っぽい茎が出てくると、それが伸びて花になる。くるりとまかれた紙を開くように白い花は咲く。カップのようなその形は妖精たちの洒脱な折り紙のよう。今年も咲きましたねと、思わず花に話しかけてしまう。土からすらりと伸びている姿を楽しんでから、背の高い花瓶に活ける。今年はそれを描いてみた。
画家だった大伯父と、花を描いているときの話をした・・・描いていると、どんどん変わって行きますよねと観察は一致した。写真家の猛者:土門拳さんは晩年、車椅子になって「仏像が走って見える、急いで追いつかねばならん」と語っていたそう。花も仏像もじっとそこにいるけど、美には猛スピードで前進して行くようなパワーがあるってこと?
ベルギー象徴派のクノップフは、カラーの花によせて、女性像を描いている。装飾のないぴったりとしたドレスに身を包んだ女性がすっくと立つその姿は、鎧の聖女の現れだろう。絵のタイトルは「アラム百合」どんな花だろうと思っていたら、時を経て庭先に植わっている不思議さよ。
アフリカ原産のこの花は、高温多湿の地が適していいるけれど、環境への順応性も高いそうだから、ベルギーみたいな寒冷地でも花開いていたのだった。クノップフ先生の絵では、ずいぶん華奢な花に描かれているけれど、庭先のカラーは背丈が1mくらいに成長している。ダーウィン曰く「強いもの、賢いものが生き残るのではない。変化に順応できるものが生き残るのだ」…アタシもガンバロって…違うでしょ🤣
植物にとって花を咲かせるって、とてもエネルギーのいることだろうなぁといつも思う。球根や種の中、土の中、ONENESSの力が秘められていて、太陽と風雨にさらされて、宇宙から降り注ぐ愛のエネルギーを得て、じっくり焦らず確実に力を使ってついに開花する。ヒルマの黄と青の一致だ。
開いた花の中を覗いていたら、なんだか不気味でこわいような気がしたのは少女の頃。少女は花が生殖器官だなんて、まるで意識していないもんね。陰陽一致の力は森羅万象に秘められている。それは育む力。お力はとても強いので、用い方を間違えないように、怖い顔をしているのかもしれない。だから目をそらしてはいけないのだ。怖い顔が慈悲のお顔に見えるまで。
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来週の月曜日はアジサイの日。楽しみだな。
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4年前にもカラーについて書いていた。内容が重複しているんだけど、自分の中で少しずつ、意識が変化しているのが判る。オランダ海芋▶
この辺りで一度「いんぱるぱぶれ」をまとめなくちゃなぁ
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