地獄めぐり
地獄めぐり
元旦に、何かその年を象徴する出来事が起きる・・・祖母が亡くなった年は明け方、地震がぐらっと来て「主よ、憐れんでください」と、心で唱えて目を覚ましました。母の死の年は、いつもどおりの朝だったはずなのに、台所で薬缶の湯気が反応して、警報器がけたたましく鳴りました。これはきっと何かの警告だと、胸騒ぎがしたのを覚えています。以来、今年は何かあるかな?と、気に留めるようになりました。もちろん、何もないときだってありますが。
ホームページを作ろうと考え始めたころ、元旦にふと、アロイジウス・ベルトランの「夜のガスパール」を手に取りました。長らく本棚で埃をかぶっていた本でした。今までやろうと思ってたことを、これから取り戻していく・・・そんな予兆だった気がします。
「夜のガスパール」と言えば、ラヴェルのピアノ曲が有名かもしれません。そうそう、あのカトリーヌ・ドヌーブさんが吸血鬼に扮した映画「ハンガー」で、恋人(D.ボウイ)の前で、ピアノを弾くシーンがあったんですが、弾いたのは「夜のガスパール」の中の一曲「絞首台」・・・風に揺られ、夕日に浮かぶ首吊り人のシルエット。不気味にもロマンチックな曲なので、女吸血鬼の美しい凄みの演出に、一役買っていました。
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・・・思わせぶりな二人・・・
夜のガスパール氏を知りませんか? 司祭館にいなけりゃ、娼家だろうさ? というわけで夜のガスパール氏は悪魔だったと、読んで知ったのでした。まことにロマン派なお話しです。
19世紀、ロマン派が起こった際、ダンテの神曲もリバイバル・ブームになりました。画題としても人気が高まり、画家のシェーフェルもパオロとフランチェスカを描いたと言われています。憐れ地獄に堕ちた恋人たち・・きれいな嫁さんをだましておいて・・・フランチェスカから話を聞いたダンテは、あまりのことに心を痛め、失神するんですが、神が決めたもうた計らいゆえ、地獄に堕ちた人を憐れまないのが、まことの憐れみ。これが詩聖ヴェルギリウスの、ダンテに対する諭しでした。
と、いうわけで、今年(こんとし)我れが受けし啓示なるや、ダンテの神曲なりし。(翻訳が壽岳文章先生なので文語調 ハマっちゃうよね)これもきっかけは元旦に、リストのピアノ曲「イタリア巡礼・ダンテを読んで」を聴いたゆえ、積読本なりし神曲を引っ張り出せしことなりき。
神曲は詩人ダンテが、人生半ばならずして(35歳前)道に踏み迷い、詩聖ヴェルギリウスに導かれて地獄をめぐり、罪を浄化する煉獄を経て、至聖なるベアトリーチェが待つ天国へ至る長編叙事詩。1300年の復活祭が設定なので、21世紀を生きる我らには、古きこといみじきものなりしですが、地獄で描かれる罪の懲らしめ、古代ギリシアの神々の怒りや嫉妬、人の恋慕や憎悪、旧約世界の物語を経て、人類は精神性を発達させてきたことを、改めて思いました。これが古典を読む醍醐味なのでしょうね。
面白かったのは、不倫より大喰らいの方が、罪が重いってところ。花より団子、いえ団子より花で、行かなくちゃヤバイのかッ?!なんて心配もさることながら・・・
神曲とは別件で、この世で結ばれなかった恋人たちは、あの世でも結ばれないこと畢竟にして、心中するは空しきことなりと、知りました。
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この世で結ばれていたお二人はセーフ!
煉獄めぐり(セイレーン)へつづく
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