中性的であること
中性的であること
世の中には男と女がいると、わきまえたのは4歳くらいのときだったか? そして男と女の中間みたいな人もいると意識したのは、5歳くらいだったと思う。テレビでピーターさんというタレントを見て、中間の人もいるんだなと、思ったのである。のちのちピーターさんは男であると知ったけれど。
それから男装の麗人なんていうことも知った。ショパンの恋人だったジョルジュ・サンドは、男性のエスコートなしで外出するために、男装をしたという。少女戦士ジャンヌ・ダルク、グレタ・ガルボ扮するクリスティーナ女王も男装をしていた。中性的ってカッコイイと思った。
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本棚の整理をしていて、レオノール・フィニというフランスの画家の本を見つけた。フィニも中性的な人だった。アルゼンチンから母に連れられてフランスへ渡り、父親が彼女を取り返しに来ても判らないように、男の子の格好で過ごしていたこともあったという。男親の束縛がないことが、フィニの奔放な性質を伸ばしたそうで、退学処分にも何度かあっているとか。
フィニが視線の可逆性を追求したところに、自分は惹かれている。絵画の長い歴史の中で男性画家の視点で女性像というイコノロジーが確立していったわけだけど、フィニはその逆にトライしたのだ。つまり女性の視点から男性を描く。とく女性の裸体像などは、ほとんど男性の視点から描かれてきたわけだけど、それを女性が描く男性の裸体像という立場から描いている。
フィニ画伯は少女の頃、眠れる美少年の姿を見て鮮烈な印象を覚えたので、その後、自分の作品にもその時の印象が残っていると語っている。そして画伯は男性に友情を感じるけれど、美しさは女性の方が圧倒的だとしている。
フィニの友人でもあったシュールレアリストの画家キャリントンは、白いスラックスをはいた自画像を描いている。当時は女性が公の場でズボンを履くのはご法度だったから、そんな制約に反旗を翻したのだ。今ではユニセックスなデザインの服があふれているんだから、先人たちの意識改革のおかげだ。
そのフィニ画伯が愛の絶頂シーンを描いた絵を見つけた。フィニ画伯の絵だと下で、のけぞってる人が骸骨みたいな顔に描いてあって、上にのしかかっている青白い人もベールをかけた幽霊みたいなので、やっぱり愛のクライマックスは、死に通ずるというのが芸術路線の王道。でも自分は単純に幸せな図を描くのが好きなのダ。
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