剣と鏡 その2
剣と鏡 その2
子供の頃、疑問に思っていたことが、ずいぶん経ってから判ったりする。あ、そう言うことだったのかと。神社のお社の中にあるご神体が鏡であると知ったときも、そうだった。どうして鏡なのか、周りの人に理由を聞いたけど、誰も知らなかった。お稲荷さんのときもそうだったけど、誰も知らない、解らないは、結構いいことだった。解かったときは、より印象が深くなるから。
当時、子供だった私は失礼にも、ご神体が鏡だなんて平凡だなぁと思っていた。全く解っていなかったのだ。昔は加工技術が素朴で、鏡面をぴかぴかにするのは大変なことだから、鏡は特別なアイテムだと思い至らなかった。それでも、天にましますと、熱心に祈っていた子供だったので、内面て何だろう? 内面、内面・・・と、かなり当てずっぽうに考えていた。
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私は自分の顔を鏡で見ることができる(何も恥じることはない)という言い方が英語にあるそうで、これはまさに鏡を見ることが、内面を見つめることを意味している。自分について考える。今、自分は何を思っているのか? どうしてあの時、〇〇ちゃんとケンカしたのか? どうして〇〇さんにウソを言ったのか? ケンカやウソの原因はどこにあるのか?と、考えるのは、精神性の発達になる。物事には全て原因があるから。
いちばん身近で解りやすい例は、具合が悪くなることだ。病気になるには、原因がある。私はこの事実を仙骨調整の経験から学んでいるところだ。全てに原因がある。は、紛れもない事実。風邪をひく、頭痛が起きる。皮膚炎になる。糖尿になる。癌になる。軽いことから重いものまで、原因があって、そこには感情(想念)が影響している。ふと思い出す、頭にくること、悔しかったこと、恐怖、不安、悲しみ、これらにはその時々の想いがこもっている。その時々の怒り、不安、悲しみがある。だから、そんなこともあったなぁと、流して行くんですよと、遠隔治療の南先生にいつも言われている。
そんなこともあったなぁと、流す。つい、あの時は、ほんとに悔しかったわ!とか、思い出しても腹が立つ!と、なるんだけど、そうやらないようにして、流す。だいぶ、これが出来るようになってきたので、あんなに頭に来て、ブタを殴ったことも、今ではもう、思い出すこともなくなった。
神社のご神体である鏡が、内面に向かうお力であるとは、何を意味しているのか? どういう風に尊いことなのか?といえば、鏡を見る。自分の内面を見る。自分と向き合うことから逃げない。これは確かに、自分と世界を救う力を秘めている。ということだったのだ。

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