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魂が欲しい!

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猫子さんたちを描き始めた頃は、動物霊をあまり意識していなかった。けれどもきっと自分の中には、牙と爪があって、尻尾も生えている何かがいるに違いないと思っていた。

魂が欲しい!

南先生の治療を受け始めて間もなく、みぞおちから猫みたいなものが飛び出して行った。春水先生にお話しすると「そうですよ。持って行ってくれるんですよ。」と、おっしゃった。「 持って行ってくれる! 」ここではっとした。ヘンなモノが付いていたなんてイヤな感じと思っていたから。もっと踏み込んで、物事を捉えなければいけなかったのだ。嫌なもの、変なものを排斥するのは、ちょっと早合点だ。鬼は外の精神を一歩、進めて、鬼を福にねがえらせること。どうもこれが本筋らしい。鬼子母神がお釈迦様に悟されて、子供の守り神になったように、ネガティブなエネルギーをポジティブに変換する。どうしたら変換できるのかは、その時々の課題だけれど、みぞおちのモシャモシャ猫も、私の中のいらないものを持って行ってくれたと、理解できれば、一歩進むことになるだろう。

お稲荷さんやお蛇さんの祠を拝んできた人類だけれど、どうして狐や蛇を拝むのか、知っている人は少ない。私が子供の時、どうして動物を拝むのか?人間の方がエライんじゃないのかと、周りの大人たちに尋ねたけれど、答えは判然としなかった。みんな、どうしてなのかしらねぇ、さぁてねぇとか言って、お茶を濁していた。しかし、あるとき解った。世の中には、そういうことをちゃんと書いてある本(ローム大霊講和集)があった。

動物霊と呼ばれるスピリットたちは八十八の難行苦行を収めて神通力を増して、世の役に立って、魂体 (こんたい) を授かろうとしていたのだった。だから、修行をつんだ動物霊は、並みの人間なんかより力があるので、祠にお祀りされてきたのだ。

しかし、お稲荷さんやお蛇さんは、やはり動物なのである。祠に祀って拝んでいるうちはいいけれど、もういいやと、ほったらかしにすると、怒ってかみついてくるという。ペットも可愛がっているうちはいいけれど、いじめたり餌をあげなかったりしたら、かみついてくるでしょう?と、教えてくださったのは、春水先生だった。

動物霊たちが欲しがる魂体を、人間は生まれながらに授かっている。神が人間を自らの似姿として作られたというのは、このことだったのだ。だから人間は死んでも、この世での経験を維持して、魂を磨き続けることができる。動物たちは魂体がないので、死んだら動物グループの中に溶け込んで、個体としての経験は失われてしまう。ポチは犬のグループに溶け込み、タマは猫のグループに溶ける。それでも人間に飼われていた個体は名前を呼ばれたりして、人間によってある程度の個別化が進むのは確からしい。自分も飼っていた猫が死んだあと、何度か夢に出てきた覚えがある。あの世へ去っても、きっとこの世に何かが残っているんだなぁと思った。そう、私は飼い猫に感謝していた。楽しい思い出をありがとう。一緒に過ごして嬉しかったよと。感謝と賛辞は、あらゆる生き物を超越して、通じる気がする。ありがとうを言う相手がたとえ植物でも、ペットでも、石でも。

ありがとうの言葉は、あらゆる意味で、友を作る言葉だ。魂に響く波動だ。

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