Blog いんぱるぱぶれ

月が見ている

月が見ている

月が見ている

月が見ている 月が見ている

月が見ている。と、言った方が本当なんじゃないか? 月を見ているのは自分なんだけど、お月様がこちらを見ている。私たちを見守っている。先日、月の凝視をやってみたら、そんな風に思えたのだ。

このところ、眼精疲労がまた戻ってきた。去年、眼鏡を作り替えたばかりなのに。遠視の私は目玉が凝ってしまう。困ったもんだ。月の凝視が、目の筋トレにならないか? そんな思い付きで満月の前後三日間、月の凝視にトライした。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

太陽凝視のことは知っていたのに、月の凝視に思い至らなかったなんて、どうしてだろう? 私はお日様より、お月様や星々から霊感を受けることが多かった。

たとえば、詩を書く宿題が出たときのこと。何を書いたものか思案投げ首。何か思いつかないかなぁと、夜に向かってフランス窓を開けた。外へ出ると空気が冷たかった。なんとなく星のにおいがした。はっとして空を見上げた。星が青白い手を振っていた。と、これがそのまま、詩の書きだしになって宿題完了。ときに私は中学生だった。 

さて、初めてトライした月の凝視。やり方なんて知らないから、当てずっぽうに、ただじっとお月様を見ていればいいのだろうと、やってみたら出来ない! えっ、どうして?! 月が眩しいハズないのに、目がショボショボして開けていられない。こんなことってあるんだろうか?!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

月が見ている そこで月光の下、必然的に目を閉じていることになった。何とか目を開けていようとしたけど出来ない。まるで目を閉じていなさい!とでも言うように。目を閉じていなさい?・・・そういえば、目を閉じていると、月の光が間近に感じられる。シャワーを浴びるみたいに光が私に降り注いでいる! 絶対そういう感じ。満月の光線は、こんなにもリアルなんだ。これが月の凝視、初日の出来事だった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

遠隔治療の日、南先生に月の凝視をしたと報告した。先生から、我が家は家系的に目が弱いと伺っていたので、目を強くしたかった旨、お伝えした。太陽凝視、月の凝視の目的は、自分より高い波動を浴びて、精神性を高めて、魂の鍛錬すること。もちろん、簡単には行かないんだけど、とにかく目標はそういうことだから、精神と魂の波動が上がれば、身体の弱いところも修復される。と、行きたかったんだけど、月の凝視には、もっと深いメッセージが隠されていた。

それは南先生からの返信メールを通してやってきた。メールには、肉体の目ではなく「心の目」で物事を見ること。これを日常で身につけるのは、難しい面もあるけれど、自分で感覚を養うべし。要するに自分を無の境地にいざなうような感じだという。南先生はお若いころから、この無の境地に取り組んでいらしたそう。

物事に取り組むとき、自分が消えると神がお通りになる。そして全ては上手く行く。近所の修道院に通っていた頃、年の近いシスターと、よくそう話していたのを思い出す。ここに、無にいざなうヒントがないだろうか。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

月の凝視二日目からは、ちゃんと目を開けていられるようになった。けれども初日に目を閉じたまま得た、シャワーを浴びるように月光をリアルに感知したあの感覚。目で見るよりも、その方が月の波動をよく受信できるような気がしたんだけど、あそこに無の境地への入り口があったような?・・・と、体験を反芻している。

草むらに鈴虫の合唱が続く秋の夜長。5月と9月の満月には、地球にイエス(如来)が降りて来るウエサク祭(ベイサク祭とも言うらしい)が、ヒマラヤの山奥であるそうだから、東京の片隅にいるワタクシも、満月を見て心の平和、無の境地を、瞑想したい。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

月下の恋人たち。かのアニばらにおける有名シーンでありますが、放映当時は賛否両論飛び交って、この回の脚本を書いた杉江先生は、その年の秋ごろから行方不明になって、北海道の山中にて自死しておられたと、のちに知りました。

さらに年月は過ぎて、秘教学的に夜、野外で眠ることが推奨されていると、アリス・ベイリーの本で知って、杉江先生の主張であった「原作におけるお嬢様が下男を寝屋に引き入れたニュアンスの排除」は、素晴らしい演出だったのでは? 地上の愛をすごく理解していた素敵な女性だった杉江先生。死ぬことなかったのに、もったいないなぁ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

夜は潜在意識の時間帯。学生の頃、禅寺の本堂で夜っぴて座禅を組んだことがあって、夜のしじまに座り続けていたら、ふと身体の感覚が消えた。闇に浮かんでいる自分の思念、身体は消えたけれど、私はここに居る。あの感覚を得て、自分というものは意識なのだと、はっきり自覚するに至った。そして先祖や家族の死に遭遇して、人は死んでも魂はあの世で生き続けると知った。目を閉じて想う。夜の闇が人に教えているのは、何だろうと。

夜空の藍色は宇宙という永遠の色だから、夜空の下で和合を得た恋人たちは、どれほど深く愛に身を浸したことだろう。男は女を通して男であることを超え、女は男を通して女であることを超えて、永遠と一致する至福。・・・よかったねぇ💗

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

言わずもがな

ダンテとヴェルギリウスの扮装なのは

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

関連記事一覧

  1. 真夜中の教会
  2. 海の近く
  3. そこに愛が!
  4. 流れのままに
  5. 怪我の功名
  6. 鳩の声

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

2021年9月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

アーカイブ

最近の記事

  1. 恋人たちの脚
  2. melts sweetly

    2024.11.18

    心と体の一致
  3. 2024.10.30

    黒髪と緑の目
  4. 2024.10.27

    帽子
  5. 笑う猫子さんたち
Banner

歩き回る植物

PAGE TOP