天使からの電話
天使からの電話
ずっとずっと待っているのに、まだ来ない天使からの電話。
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先週、あの頭に走る稲妻の、プチ・バージョンがやってきた。あのビリビリ来る痛み、このところご無沙汰だったので、今回は何が原因だろうと、心を澄ました。
かつての稲妻は、人の悪口を何度も何度も聞かされて、負のエネルギーで自分が満タンになった結果だった。けれどもそれは、自分もブータレ人間だったから、類ともで悪口を聞かされていたと判明。負の出来事は自分の鏡だったのだ。だからもう、人の悪口は言わない。
そして今回の稲妻は、自分の中にたまった負のエネルギーが、外に出るところだった。悪口は言っていないけど、内心憤懣たまっているんだね。だから内側からも吐き出す。これが波動修正の改善作用なんだ。
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後頭部に稲妻の痛みがビリビリくるので、早めに休むことにして、頭と背中をホットパックで温めながら床につく。負のエネルギーが抜けるとき、痛みはだいたい8時間で治まるから、明け方ごろまでと覚悟して、負のエネルギーとの対話が始まり始まり。
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夜の中で目をつぶっていると、抜けて行くべき想念が去来する。失敗、言い訳、相手への避難、自責の念、次々と思い浮かんで頭の中に充満する。苦しい。稲妻の間歇攻撃の中、半眠りと覚醒の間を行き来する。南先生が改善するときの痛みは、悪くなるときよりも軽いと、おっしゃっていた。もう「手当て」をしてくれる母はいないんだけれど、確かに今回、痛みは軽いので、苦しいけど前より楽だ。
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案の定、明け方に痛みが治まった。両眼の奥に残っている詰まりに、働きかけてみようとベッドから起き出して、まっすぐに立つ。右手に虎目石、左手に水晶を握って、目を閉じて集中する。
目の奥の詰まり。詰まりを前方へ抜くと意思気して、集中する。目を閉じて、集中して、そのまま、そのまま、時を待つ。するとふーっと力が抜ける。この抜けて行く感じ、解放される感じ、頭が空っぽって、こういうこと。この自分がなくなる感じをしばらく維持する・・・・・と言っても、それは数秒なんだけど。そしてふと、目を開ける。楽になっている。やったー!
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南先生は目を使ってエネルギーを動かすことができるとおっしゃっていた。こういうことなのかなぁ?
ふ-っと詰まりが抜けて行く、あの感覚。身体の周りを取り巻いているエネルギー体と意思気がつながる感じ。目の奥から力が抜ける。そのあとすぐじゃないけど、首回り、背中まわりの詰まりも抜けて、何だかほっとする。抜けて行くときって、とても眠い。身体が治すことに集中するから、ほかのことにはシャッターを下ろす。休みの日にこうなることが多いので、きちんと横になる。眠りと覚醒の間を行ったり来たりで自分修復。
ひとつひとつ意思気してクリアしていけば、理解が進む。修復中は痛かったり、だるかったりして不安なんだけど、これは自分を信じる訓練なんだ、直観で状況を捉える練習なんだと、自分に言い聞かせる。
内面に集中して「どうなんだろう?」って訊く。「大丈夫だよ」と、言葉が返ってくる。途端、これでいいのかしら?と、考え始める。これが頭脳思考。頭より直観を優先しようとしているんだから、最初の言葉を、まっすぐ信じる自分になる。信じる自分になる。
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こういう電話機があったころ、電話にはファンタジーがあった。私は夢見ていた。いつか死の天使からお迎えの電話が、かかって来ないかと。「もういいよ。戻っておいで」と。
けれどもそれは、真我からの直観コールに変わったのかもしれない。
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DD casebook1
KTAS I gadebilledet Street Sgnal KTAS
Danish Design Council 1985
天使がかけている電話、こちらの本に載っていた素敵な公衆電話をちょっとアレンジして描きました。そのむかし、神保町の源喜堂書店で見つけた20センチ角くらいの本。本の整理をしていて再会。デンマークの電話会社のデザイン設計本? 今やケータイの時代、公衆電話を見かけなくなりましたね。
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石は友達
目から詰まりを抜くとき、右手に虎目石、左手に水晶を握っていたのは、エッセーについて考えていたので、インスピレーションを促進したかったから。タイガーアイは潜在意識に働きかけて、具体化を促進する石。エッセーの内容を5つに分けて書くというアイデアが浮かんだ。
左手に持っていた水晶は、水入りのエレスチャル・カテドラル。水入りというのは、鍾乳洞とかで水晶が形成されるとき、近くの水滴を中に保ったまま、石が形成される状態。水は感情レベルと呼応しているから、感情を抑え込むんじゃなくて、コントールすることを思い出さなくては。
エレスチャルは天使からの贈り物という意味なんだけど、和名はなんと骸骨水晶。含有物の生み出すモワレが骸骨みたいだから。カテドラルはカシードラル・ライブラリーともいう。お寺や図書館は心静かに瞑想したり、読んだり書いたりして学ぶところ。その名の通り、自我の中の知恵と呼応する波動を持っている。図書室の夢をよく見る私は、エレスチャルを握ったりして、あの図書室の静けさを思い出している。
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