書架の悪魔
書架の悪魔
とても高い書架があって、その上にはダイヤ型の窓があった。一番上の棚の一冊を引き抜くと、悪魔の図鑑だった。へえ?こんなにたくさんの悪魔たちがいるんだと、ページをめくりながら驚いていた。またここへ(この書架のある図書室)来ることがあるだろうか?と思っていたら、目が覚めた。夢だったのだ。
ダイヤ型というのは心の窓を象徴している。六角に結晶する水晶の第七面がダイヤ型になることがあって、ウィンドウ・クリスタルと呼ばれている。ダイヤ型をのぞき込むと、自分の深層心理と繋がることができる。だとすると、あの時自分は、心の中の悪魔を見ようとしていたのだろうか?
悪魔と言えば、エバにリンゴを食わした話が有名だけど、最近、それについて考えた。悪魔はヘビの姿でエバの前に現れたから、あれはクンダリーニ・パワーについての話だとか、とにかくいろんなよもやまに彩られているんだけど、知恵の木の実を胃袋に入れるんじゃなくて、心で取って、心で食べるのが正しいやり方だと、福音は教えたかったんだというのが本当らしい。腹を満たそうという生理現象が先に立ったからよくなかったというのだ。アダムからキリストの時代になった時、悪魔はキリストを誘惑して、お前が神の子なら、石をパンに変えてみろと、言ったんだけどキリストは、人はパンのみで生きるのではないと応えて悪魔を退けている。これが2000年前の話で、今やモノなんか食わないでも生きている人が、歴史の中には点在していることが知られているんだから、こりゃあ、本当だぁと思う。自分はモノを食べて生きているけど、食べなきゃと思っていた鬱のころより、ずいぶん分量が減って、心が元気になったので、パンだけで生きてるんじゃないよが、何だか判る気がするのだ。
アダムは地面の意味(アダムの伴侶エバは命という意味)で、人間は土から作られたというのも、土は神のこの世における体だから、という深い意味があったのだ。土をお土と言って尊ぶ意味もこれで、ますますよく解ってくる。あの図鑑の悪魔たちは、みんな翼を生やしていて、天翔けていた。人より早く走って先回りして、待ち伏せ作戦に出ているってことだろうけれど、今や、誰も悪魔なんか信じていない。神様だって無視されているんだから。
それで、もう一度、あの書架のある図書室に行く必要はなかったことが解る。夢は悪魔についてチラ見せしておいて、もっと大事なことを考えなさいよと、教えていたのだ。あれからもうずいぶん月日が経ったけれど、私は一度もあの書架へ戻っていない。魔物が「も~し!」と呼びかけても、無視すればいいと心得ているんだから。
書架に悪魔の図鑑がある。モニカさんらしいビジョンと思います。
アダムとエバの林檎の話。心でとって食べる。歴史の中ではモノを食べずに生きている人が点在している。
興味深い話をありがとうございます。昔、ぼくも参加していた詩誌『パンと雲』の由来を思い出します。
パン(物質上の食糧)を食べる時間、雲を眺める時間。その両方から詩をつむごうという趣旨だと解釈しています。
どちらに比重を置くか、それはその人の時期、個性によるのでしょう。
知恵の実を心で取ると、実も喜ぶ。
人の心は、天界を喜ばせる力を秘めている。
これ、古事記にも通じるところがあって、精神世界の、
というかあらゆる宗教が言わんとしている
エッセンスみたいなものが絶対にある。
そこをしっかりキャッチしたい・・・つかみたい・・・かなぁ。
悪魔というのは、天界の影、ホントはいないんだけど、
影絵を見ているのは楽しいところがあるんだよね。
特にゲージュツやってると、クセになっちゃうというか、ね♥