Blog いんぱるぱぶれ

異界からの呼び声

シェル

異界からの呼び声

シェル 異界からの呼び声

Thank you for reading this post, don't forget to subscribe!

ミショーの詩を読んでギョッとした。短いプロットをつないで描かれた内容から察するに、夫人は凄惨な死を遂げていたのだ。どうしてそんなことに?

アンリ・ミショー(1899-1984)ベルギー生まれのフランスの詩人。医師の指導下、実験的にメスカリン(麻薬)による精神の極北を旅した風景を描いた画家でもある。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

読んでいると、胃がキリキリするようなミショーの作風。その感性が巡り合った妻。凄みの詩神は、凄惨な死を愛したのだろうか?

メシアンの伴侶だった女性も、出産後に発狂している。異界に触れてしまった詩人、音楽家は、やはり異界からの呼び声を聴き続けるのか?

オリビエ・メシアン(1908-1992)フランスの作曲家。鳥類学者でもあり、鳥の鳴き声をモチーフにしたピアノ曲「鳥のカタログ」がある。動画・愛の部屋の音楽は2つのピアノのための「アーメンの幻影」から編集した。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ミショー夫人の焼死。燔祭の生贄? 何のための犠牲だったというのか? 病院のベッドの上でひと月の間、包帯でミイラのようになったのち、血液異常で他界するとは。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「火が私の家の上に黒い布を広げた」と、ミショーは詩っている。暖炉の火が彼女の衣服に燃え移ったときから、耐えなければならない時間が始まったのだ。治癒への希望を持って、緩慢な死へ向かって。

傍らにいる人間は、見守ることしかすべがない。そうして深く降りて行くのだ。異界へと。

異界は、ふと隣室へ行くような、あるいはエレベーターで二階へ上がるような、また雨のように降り注いでくるような、形なき神出鬼没な在り処。訪うとしても辿り着けず、かと思えばそこにいて、いると思ったら、もういない。そんな風に異界は、いつも私たちの傍にある。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

人が最初に異界へ行く切符を手にするのは、近親者の死、自分の臨死、いかんせん死が傍らを通る時、その切符を分配する。そして異界は、泡立つ血の池で溺れるような、巨石を背負って歩かなければならないような地獄ではない。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

最初に見るのは、息を引き取った人の足跡であり、かの人たちの、肉体という器から解放された喜びだろう。魂がそこから出てそこへ帰るところ。人が人の死に立ち会うのは、その場所を知るためではなかったか?

死を迎えた人たちは、今や魂となって「私はここで生きています」と、言葉なき言葉で告げている。言葉なき言葉を聞く耳こそ、直観なのだ。

あの人は、あの世で生きている。これが異界からの呼び声を聴いた者たちの、率直な言い分だ。そんなこと信じられない? だからミショー氏も、最後の行で遠慮がちにこう結んでいる。「われら今も二人」と。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

関連記事一覧

  1. こっちを見てる
  2. メランコリー
  3. 夢の中で
  4. glam
  5. 藍は愛の夢を見る
  6. 潜在意識
2021年6月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  

アーカイブ

コメント

最近の記事

  1. 前世の修復

    2024.03.5

    前世の修復
  2. トルマリン湯

    2024.02.24

    トルマリン湯
  3. ハイゴ
  4. 愛と調和
  5. 歩き回る植物

    2024.01.4

    歩き回る植物
Banner

歩き回る植物

PAGE TOP