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夢を見た その2

独楽あそび

夢を見た その2

独楽 夢を見た その2

私は母のことを「ママ」と呼ぶのを6歳で止めた。子供番組を見ていたら、いつまでも、お母さんをママって言うのは恥ずかしいよねと、番組のおねえさんが言っているのを聞いて、それはそうだなぁと思った。当時はそんな風にテレビっ子だったのだ。今、ほとんどテレビを見ないので、あの頃を思うとなんだか不思議。

それで大人になってから、よその人がいい年をして、ママって呼んでいるのを聞くと、ふ~んママって言うんだこの人? なんてちょっと馬鹿にしていた。こういう風に人を馬鹿にしているときって、自分の心にひずみがあるんだと、薄々気が付いていたから、自分が夢の中であっけなく「ママッ!」と叫んだとき、ああ、やっぱりと観念した。それは、想念で建設した壮大な建築の夢を見た数日後のことだった。

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ママと叫んだ夢

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この青黒入道くんの夢を見たとき、ネガティブな過去が、抜けて行くところだと判った。死に至る病は絶望だから、自分で自分を死病へ追いやった私の絶望が、ついに抜けて行くのだと。波動修正療法の成果、やっとここまで、辿りついたんだ。私の本心は、母をママと呼んで甘えていたかったんだけど、自分には許されないことだったし、そこには家族への恨みもあったんだけど、もういいんだそんなこと!と、思えるところまで来た。そんなこと「どうでもいいんだ!」

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独楽あそび
独楽あそび

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この「どうでもでいい」は自分にとって呪文のコトバ。おざなりにするとか、ないがしろにするってことじゃない。いつまでもいつまでも、気にしすぎるトコロがあるので「どうでもいいんだ」と、自分で自分に呪文をかけると、どうやら普通になる。人並みになれる。メリーポピンズのスパカリフラジェリ…みたいな魔法のコトバ「どうでもいい!」

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母をママって呼びたかった自分。絶望に押しつぶされて病気になった自分。こういう自分を、そのまま認める。こういう時が来ると、わだかまりやひずみは去っていく。遠隔治療のおかげだなぁと思う。自分一人では、ここまで来られなかったんだろうなぁと、思うのです。鬱病になったことが、仙骨との出会いだから、南先生がおっしゃるように、病気や負の出来事は、人生を考え直すチャンス。これは本当です。自分もその生き証人の一人です。

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仙骨球が勢いよく回っている独楽のようだと、ネガティブな波動を寄せ付けないで、人は心身ともに健康、正常波動で生きているってこと。自分の仙骨球はゆっくり回っているそうで、先週の調整時、仙骨の状態が潜在的なところで変化が出たとのこと。じつはメビウス運動をやり始めていました。南先生のご本(205ページ)でも紹介されているコンシス流の運動法。メビウスの輪が2次元から3次元、そしてさらに次元の変化を誘導していると思われるのです。と、いうわけで次回は「私のメビウス運動」についてご報告します。

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