忘れていた過去
忘れていた過去
キッチンでガラスポットに水を入れていた。いつもやっている事なのに、ポットを持っている手が下がりそうになる。力が入らないのだ。たかだか750mlのポットなのに。鎖骨の下のくぼみが痛い。これはおいでなすったの現象だ。改善作用である。
私は左肩を痛めていた。すっかりそんなこと忘れていたけれど、細胞はちゃんと覚えている。あれはバスの中での激突事故だった。
思えば膝の怪我も、激突が原因で、そこを痛めていたから起きた。激突のことは忘れていた。けれども4年前、修復のためにホメオパシーが起きた。細胞は修復のために痛みを出すのであって、恨みのためではない。恨みがあるとしたら、それは細胞ではなく私のアストラル・レベルの問題だ。でもすでに「よくもやったな!」の気持ちも、忘れていた。そして事態は進んでいた。
物事が起きるには原因があるからだと、思っている。病気になるのも、事故に遭うのも原因があるからだと。そしてその原因が何なのか? 長らく自分は追及してきた。激突したのは二人とも男性だから、私は今生で異性と、これ以上衝突することはないだろうと思った。つまりこれは前世におけるラブ・アフェアの解消だと。前世で私は男だったから今、女性になり、相手は男性になり、そうしてお互いやったりやられたりのサイクルをこなしたのだと。しかし、もうこんなこと考えなくていいんだと突然、気が付いた。
と、言うのも、肩が痛いので、寝しなにホ・オポノポノの言葉に集中する記憶と潜在意識のクリーニングをやってみたら、意外な体験をしたのだ。
ごめんなさいの言葉の中に、痛みがウイーンと抜けて行ったと思ったら、夢を見た。夢の中で、私は見知らぬ女性を毒殺した。飲み物の中に毒を入れて、様子をみていると、女性は苦しんでいるが、なかなかこと切れない。まずいなぁと思っていると、大きな浴場の湯船の中で溺死しているのを透視した。すると場面転換。電話でガミガミ話す男の声が背後から追いかけて来る。うるさいので屋外へ逃げて、溺死女の家から逃走しているところで目が覚めた。嫌な夢だなぁと思って、もう寝ないで起きなくちゃと思ったのが、明け方の4時半だった。もう、あの夢の中へ戻るまいと、再び目を開けたら、6時半になっていた。
ここで夢判断。女性を毒殺したのは、今までいいと思っていたことが、そうじゃなくなった現れ。なかなか彼女が死なないのは、そうじゃなくなったの?うそでしょ?って疑っているから。追いかけて来るガミガミ男の声から、逃げ切ったのだから、私は新しい考え方へ、一歩踏み出したところなのだ。過去の価値観=「物事には原因があって、それが何なのか?理解しなくちゃいけない!」だけど、今やこれをしつこく追及する必要はないと、解った。この新しい考え方に、切り替える時が来たのだ。南先生も、ホ・オポノポノのクリーニングでも、原因が何か、追及する必要はないとしている。確かにその方が、事態が早く前に進むだろう。原因は過去であって、未来ではないから。だけどね、原因には、勘付いてしまう自分になったんだ。だから、執着しない。しがみつかない。流して行く。ということなんだね。
クノップフ先生の「わが心は過去に涙す」のパロディ
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過去って、今の現実よりロマンチックだなぁ。クノップフ先生の美学はここにあり。大好きなジャンルだけど、これは趣味の問題であって、人生の指針ではない。以前はこの辺りで、混線していたなぁ。
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