ヴェールが持ち上がる時
ヴェールが持ち上がる時
ヴェールをかぶると顔がおぼろになる。ここには慎みの意味がある。紗(しゃ)が掛かっているなんて言うと、視界不良のこと。ヴェールは目の前にぶら下がっていても、何となく向こうが見える。
サロメがヘロデ王の前で踊る7本のヴェールの踊り。官能的な美少女が薄物を一枚一枚脱いで行くんだから王様はすっかり喜んで、褒美を取らそう!なんて言い始める。つまりヴェールの向こうには、見たいものがある。
10年前、私がビランと歩き出したとき、ゴールはヴェールの向こう側だった。7本どころじゃない。何十本というヴェールの向こう。この友人のおかげで、私は多くのこだわりを捨てた。石鹸が大好きだったけど、使用を一時停止した。角質を洗い流さないことが治癒につながると判ったから。食べることが大好きだったけど、ビランの毒素を少しでも早く排出したくて、週二日の断食に励んだ。すると口に入れるものの好みが刷新した。フルタリアンになった今、生活の物質面が単純になった。これが好き!と、こだわる必要なんて全くなかったのだ。執着を捨てたら身軽になってほっとした。
物をえらぶときも、お名前で選ぶのではなくて、そのものを見る目が発達した。物じゃない心だというのは、こういうことなんじゃないかと、遅まきながら気が付いた次第。
こんな風に視界が開けたとき、今まで目の前にさがっていたヴェールが、少しだけ持ち上がったのだと思う。ヴェールがどうして持ち上がるかは解らない。向こう側のお恵みというほかない。
ビランが私を痛めつけることは、そろそろ終わり。彼が立ち去った後、完治という褒美のほかに、自分には何が残るのか? 病や試練が教えてくれるところに今しばし、耳を澄ます。
完治が近づいてきて本当に良かったです。
おめでとうございます。
ありがとう、涼さん!
最後の5分間と言いますから、ビランの立ち去り方、
観察を、続けようと思っています。
来たときは、小指一本だったよなぁ、なんて思い出しながら。
昨日、70代で癌の手術をされた方と話しをしました。
経過を観察していると5年、10年なんてあっという間ね。とのこと。
きっと、そういうものなんだと、思いました。