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死と乙女・その2

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死と乙女・その2

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数年前になりますが、いまやこの世に乙女と呼べる人はいないので、乙女という言葉は使わない、もはや死語なのだと、ある物書きさんから言われたことがありました。へぇ、そうなんですかと、その場は何気なくやり過ごしましたが、内心すごく腹が立っていました。言論の自由を妨げる偏見に過ぎないと、思ったからです。私がどうしてその時、乙女という言葉を使ったかと言えば、マリアとご挨拶していたからです。

死語というものは、時代の中で必ずや生まれるものだと思いますが、世界は神秘に満ちていると思って生きていると、偏見から世界観を狭めることは避けたいところです。つい最近、読んだのですが、火山について語る時、死山という考え方は無くなったそうなのです。それまでは火山について、せいぜい100年単位でとらえていたそうですが、実際の山の活動から言えば、万年という単位で考えなければ値しないとなったそうです。人の生きる時間と山の生きる時間は桁違いだったわけです。

火山の話のように、物事を今までより広くとらえるなら、乙女が死語とは狭苦しい話です。人間はこの世に生を受けた時、まずお母さんのお腹の中で女性の形として宿ることが解っています。そして男性も女性も女性から生まれることを考えれば、乙女こそ力強い生命の原型です。そして乙女たる胎児はすでに命のものとである卵子を数千万持っている。それが生れ月までに減って数千で落ち着くことを考えれば、人は星の数ほどの可能性を秘めながら、この世で達成できることを絞り込んで、人生の間にきちんと果たさなければならない課題を持って生まれてくるという真理をあらわしている。とても神聖なことに思えます。

死と乙女は表裏一体ではないでしょうか? この世に命を与えるもの、奪うもの、そしてこの世を離れたあの世=涅槃というさらに大きな世界では、死と乙女はひとつだとイメージすれば、ロマン派の芸術家たちが表現した世界は、詩的に大宇宙のきらめきを捉えたものだったんだと、感慨に浸るばかりです。死と乙女、ロマン主義、マリア!(マリアはあらゆる意味に変容しますが、この場合、万歳!です)

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