夢の理解
夢の理解
ルイーズ・ブルジョア(フランスの芸術家)の「父の破壊」という作品がある。真っ赤な食餐のテーブルに並べられたのは父親の肉。それを家族で分け合って食べるというのが作品のコンセプトだ。息子を望んでいた父親の娘として生まれ、父の不貞に悩み、機織りをしていた母親を、巨大な蜘蛛として表現した作品*が有名で、この世に生まれ出ることは、見捨てられることだという観念に憑かれていたという。自分と母の存在をないがしろにしていた父親を食べて飲み込んでしまえるなら、自分と両親の存在意義をリセットすることになるのか?
*六本木ヒルズに屋外彫刻「ママン」あり

霊界にて、饗宴の皿の上にのって湯気を立てていた祖母は目を閉じて、つやつやとして元気そうだったけれど、祖母を食べるなんて、考えたこともなかった私は、その情景を見た途端、嫌悪を感じ、どうしてこんなものが現れたのかと思った。「父の破壊」を知って、親を食べることは、生み落とされたことへの神秘的なリセットだと覚った。
そしてよく考えたら、私は夢の中で象徴的に祖母を食べていたのに気が付いた。祖母が入って行ったドアの向こうで、ガリガリとかじる音がして、S先生*の声が背後から「もう、終わりましたか?」と聞こえたので、私がドアを開けてみると、そこに骨壺を見たのだった。
*S先生は仙骨の調整で、当時お世話になっていた方
私の父も生まれる子供が息子であることを期待していたそうだけれど、父は私にとって、いないも同然の存在だったから、父の期待にそえなかったことなど気にもしなかった。母も頼りにならない人だと解っていたから、日々の足手まといくらいに思っていた。まともな両親に恵まれなかった私のことを、一番理解していたのは祖母だったので、彼女は父親であり母親であり、兄弟姉妹であるような、そんな存在になろうとしていたのか? あるいは私がそういう幻影を抱いていたのか? どちらにせよ、そんなイリュージョンはドアの向こうの骨壺の中に納まって、私は家族とのメンタルな決着を、すでにつけていたのだった。このブログを始めた時、私は人生、越し方への、恨みつらみを並べたてるだろうと予感したけれど、そうはならなかったことに今、ほっとしている。
「父の破壊」の展覧会には、副題がついている。「地獄から帰ってきたところ、言っとくけど素晴らしかったわ」と。
ルイーズ・ブルジョワを知ったのは、ロバート・メイプルソープのポートレートだった。彼女は男性のシンボル(彼女の作品)を小脇にかかえて、したり顔でカメラに収まっている。ブルジョワ女史、曰く「女の子がお人形を抱くように、私はそれを抱えて撮影に臨んだのよ」
この記事へのコメントはありません。