贅沢な時間
贅沢な時間
最近、何だか作画がいい加減になってるなーと反省した。以前に勝るものが描けていない。パステル画からフォトショ画に切り替えて、慣れてきたせいか? 要領よく描けるようになってきたからか? そこが危険なのである。せっかく締め切りのない、贅沢な時間に恵まれているんだから、もっと心豊かに追及の道を歩まなければ・・・。
締め切りに追われる生活をしていた時は、こんなことは考えなかった。自分の自由になる時間などないから、考えられないと言った方が本当だ。だから、すごく考えたかった。全てから離れて、考える時間を持ちたかった。ある時、全てを失って、そうなった。そうして考えていたら、10年経っていた。10年間、ほとんど何も描けなかったことに唖然とした。再び描き始めようとした時、嫌で嫌で吐き気さえしたのを覚えている。だから、自分の中にあった嫌悪と向き合うために、長らく費やしなければならなかった。自分の中にあった嫌悪とは何だったろう? 今では虚栄心だったと思える。
今や、気に入らない絵をボツにしたら、締め切りに間に合わないから、我慢しようなんてことはないんだし、リベンジだって可能になった。お金のためにあくせく描かなくてもいい。自由は自分にとって、すごい贅沢だ。
尊敬する象徴派の画家たち、天才たちの後ろ姿から、人は最晩年、目が見えなくなるんだと解かる。もちろん、日常を営むくらいの視力はのこっているんだけど、幻視者として、描き切る視力・気力は失ってしまう。だから力のある内に見ておきたい。もしかしたら、幻視者たちの晩年、その心の中では、目が見えているころより、美しいものを見ているのかも知れないけど。
異界のヴィジョンが幻視者を訪れる。ある日、ある時、思いがけず。問題は、そのとき君は耐えられるか?なのだ。
あ、なんかすごく、大上段振りかぶりになっちゃって、恥ずかしいなぁ。ただもっと真剣に描こうと、自分に言い聞かせたかっただけ、なんだけど。

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