幼子のように
幼子のように
今年の正月明けにおまかせの境地、空っぽになる練習をすると言ってから、半年が経過した。南先生から、空っぽになると神の意識に近くなるというお話を聞いて、絶対にそうなりたい!と、固めた決心をゆるめずに今日まで来てみれば、ぱっと最初に思い浮かんだことを実行するようになって、その結果はいつも正解だった。
おまかせの境地は、幼子のようになること。ザカリアのように疑わずに信じること。信じないと不自由になり、信じると自由になれる。口がきけなくなったザカリアの話は、そこを教えているのではなかったか?
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「幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできない」とは、おまかせの境地になる・・・直観を信じることではないだろうか? 生後数か月の間、頭上のひよめきが閉じないのは銀の紐を伝って、この世を生きるための知恵が注がれているからだと言う。銀の紐から授かった知恵を信頼すること。
祖母の亡くなった年に、困り果てていた私の頭にブスリと刺さったコンセント! あれが銀の紐の実態だったと思えるので、日常生活の中、人はちゃんと霊界とつながって生きている。
幼子のように生きる。クマちゃんを抱いて、澄んだ心で眠っていたあの境地。あの頃と今は、霊的につながっていて、眠りの時間には、日々学習を進めている。たとえばこんな風に・・・昼日中、本を読んでいたらふと思いだした、若い女性に「お母さんと呼んでいいですか?」と、言っていたことを。その人が生みの親ではないと判っていたから、何か新しい関係性について、夢の中で体験していたに違いない・・・人は潜在意識の中で、オプティカルに新しい何かを学び続けている。
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