ハーモニー
ハーモニー
断捨離を続けています。先週末、調子の悪かった台所の水栓が、ついに止まらなくなって、夜だというのに水道屋さんを呼ぶ羽目になりました。去年の夏あたりから、感情の制御が利かなくなる時があって、不安で心臓がバクバクすることがよくありました。そういう風に心が不安定だったので、それが目に見える形であらわれたかのようでした。
水と感情は実人生において、連動していると思います。春水先生も家の水回りはきちんと整えて、詰まりや漏れがないようにした方がいいですよと、おっしゃっていました。詰まりを抜けば体の解毒にもなるそうです。
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介護やら仕事やら、自分の生活がどんどん周囲のことに引きずられて、変わっていくのがすごく不安で、どうしようもなかったとき、お腹がグルグルしてくるのに気が付きました。身体はこうして負の想念を早く外へ出そうとしているんだ。南先生も、お腹に溜まった想念が、出て行こうとするとき、入ってきたときとは逆の道を辿ると、書いておられたよなぁ。何も悪いものを食べたわけではないのに、お腹が新幹線になってしまうなんて、不安という負の想念の作用ってテキメン。それにしても身体って正直です。心の問題がこうしてすぐさま体に反映されて、いらないものはちゃんと早く外へ出して、解毒しようとしているわけですから。
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祖母も晩年、外出先から帰ってくると玄関先で粗相してしまうことがありました。年を取って、身体が言うことをきかない。耐えられなくなる。出るものを抑えられない。生理現象と感情のコントロールは、とても近い関係だなぁと、祖母を診ていて気が付きました。感情を上手に制御するにはどうすればいいのか? 私は常に考えるようになりました。
感情のコントロールは、決して押さえつけること、我慢することではなさそうです。昔は我慢が奨励されていたのでしょうが、身体が弱って、我慢ができなくなったとき、今まで押さえつけていたことが、一気に噴き出してくる。祖母を診ていると、そんな風に見えました。押さえつけていると、大変なことになるなぁと思いました。
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ボケとは押さえつけた感情の噴出であると、定義できるんじゃないか? こうなる前に、鬱積した負のエネルギーは体外へ出しておかなければ。負のエネルギーが湧き出てきたとき、ウジウジとそこに関わらない。流して行く。そして自分の直感を最優先にする。あ、こうしようと、ピンときたことにすぐとりかかる。けれどもつい、頭で考え始める。いや、やっぱりこうした方が、ああした方がとやり始めて、ドツボにハマるんだ。
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直感的に「あ、こうしよう!」とひらめいたことを実行に移して、過不足なく今に至っている。思い返せば、いつもこうだったのに、どうしてあんなに不安の檻に囚われていたのか? どうしてそこから、抜け出せたのか? やはりひとつ、ふたつと、通り過ぎて、執着がなくなったのだろうなぁ。何に執着していたのか? それは「もしも」とか「そうだったら」という頭で考え出した可能性、いえ不安の元、妄想だったのです。
妄念こそ人生の手枷足枷です。私の場合、画材でした。使うかもしれないと思って取ってあったものが山になっていました。10年使わなかったんだから処分しよう。そうして無くなってみると、10年前と今の自分はすっかり変わっていると、自覚しました。
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絵の描き方が変わっている。これは心が変わっていること。だから生活が変わって当たり前だったわけです。タラタラと止まらない水道のように、過去を引きずる必要はないんだ。タラタラする水は今や止まって、私は新しい調和へ向かっている。どんなハーモニーになるのか? コンダクターは他の誰でもない、この私だ。

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