祖母の死
金色の光
祖母が4回目の卒中に倒れたのは、12月の28日ごろだった。それから一年半意識不明のまま、入院生活を送って、2月14日、月曜日に旅立った。朝、8時半ごろに病院から、呼吸がおかしくなってきたと電話が入った。家から病院までの道のりは徒歩20分くらいだったけれど、あんなに長く感じられた20分はない。病院に着きたくなかった。病院についたら、祖母は逝ってしまうだろうと、解っていたから。けれども一刻を争う道のりだった。祖母はICUにいた。もう駄目なんだと、ぼんやり思った。当時、私は締め切り仕事を抱えていて、もう3ヶ月も祖母を見舞っていなかったのだ。
薔薇と果樹園の香り
真夜中、原稿に向かっていると、ふと薔薇の香りが漂ってきた。家に花は活けていない。なのにどうして。思わず立ち上がって、ドアを開けた。夜の廊下は何事もない。いつもの通りだ。けれども、やっぱり薔薇の香りがする。次の日も、真夜中になると、匂いがした。今度は果樹園のようだった。その時はピンとこなかったけれど、今なら解る。天国が近づいたと、知らせが来ていたのだ。これは週末の出来事だった。
そうして週明け、私は祖母の死床の枕辺に立っていた。9時半だった。祖母の顔は安らかだった。私は祖母に話しかけた。「おばあちゃん、もう逝っちゃうの?」すると、祖母の額の上にふうっと金色の光が現れた。親指の先程の小さな光が。それからゆっくりと静かに、小さな光はしぼむように消えた。人が旅立つとき、オーラが金色に集まって消えていくことは、読んだことがあった。今のがそれ?私は心の中で叫んだ。今の見た?見た? そこには母と担当医のおじいさんがいた。誰も見た様子はない。あとで母に尋ねたけれど、やっぱり見ていなかった。
病院の霊安室から、祖母の体はストッレチャーに移された。それから霊柩車に格納されて、検体している大学病院へ走り去った。その時、死ぬときのことを心配するのはよそうと思った。人間、死ぬときはちゃんとお迎えが来る。目に見えないけれど守護霊さんたちがやってきて、きちんと守ってくれる。それが言葉とは違う次元で解った。金色の光を見せて頂いたのだから。
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