寒中見舞い
寒中見舞い
寒波がきた。星がいっそう澄んで見える。遠い遠い昔、あの夜空の果て、闇という絶対霊が光を放ち、その冷たい火から熱が生じ、回転が生まれ、熱い炎が出現し、炎の熱から蒸気が生まれて固体の水が出来て、水から質量と物質が生じたという。水は物質化という母性性、つまり大元のママンたちってこと。そして目に見えない水は揺れ動く感情であり、目に見えない火は知性であるという。てなことを本で読んでいる最中だから、頭の中がぱんぱん。ひとやすみして細胞にしっかり吸収して覚えておかなくちゃ。
エルンストのコラージュ「百頭女」の中に『失敗した処女懐妊』という作品があって、見たときは何だか不安になったものだった。けれども命がこの世にやってくるまでには、じつに人知を超えた段階があると判ったから安心した。エルンストさんは当時のカトリック的がんじがらめ教育への反発があったんだね。
今日は波動修正の日だった。寒くなってくると身体に近いエネルギー体は歪みやすくなるので暖かくしてくださいと、南先生に教えてもらった。

寒中お見舞い申し上げます
どうしてこの画が寒中見舞いになったかといえば、デーメルの詩「浄夜」について知人から便りをもらったから。詩の内容は以下の通り
ウィキペディアの「浄められた夜:原詩はドイツ語」のgoogle翻訳:(一部モニカ改正)
二人が冷たく荒涼とした林の中を歩いている。
月が二人の傍らを流れ、二人は月を見つめる。
月は高い樫の木々の上を流れ、
雲一つない天窓に、
黒い峰々が差し込む。
女の声が語る。
私は子供を身ごもっている。あなたの子ではない。
あなたの傍らで、罪を犯しながら歩んでいる。
私は自分自身に深く罪を犯した。
私はもはや幸福を信じていなかった。
それでもなお、人生の意味、母性の喜び、
そして義務への深い憧れを抱いていた。
そして、私は勇気を出して、
身震いしながら、自分の性別を
見知らぬ人に抱かせ、
そのことを自ら祝福した。
今、人生は復讐を果たした。
今、私はあなたに出会った、ああ、あなた。
彼女はぎこちない足取りで歩く。
彼女は見上げる。月が彼女の傍らを流れている。
彼女の暗い視線は光に溺れる。
男の声が語る。
あなたが宿した子よ、
それがあなたの魂に重荷とならぬよう、
ああ、宇宙のきらめきを見よ!
あたり一面に輝きがある。
あなたは私と共に冷たい海を漂っている。
それでもなお、温もりが揺らめいている。
あなたから私へ、私からあなたへ。
この温もりが、この不思議な子の姿を変えるだろう。
あなたは私のために、私から、この子を背負ってくれるだろう。
あなたは私の中に輝きをもたらし、
私を子供にしてくださった。
彼は彼女の逞しい腰を抱きしめる。
二人の息が宙にキスを響かせる。
二人は、高く輝く夜空を歩く。
この詩のテーマは、母になる憧れから見知らぬ男に身をまかせて身ごもってみたものの、そのあとで本当に愛する人に出会ってしまった女性の贖罪の念と、男性は女性への愛ゆえに自分もあなたの子として生まれ変わり、二人は新しい世界へ蘇るのですよという、幼子のようにならなければ神の国へは入れませんのキリストに習いてが下敷きにあるのかなぁと。母になる憧れだけで男に身を任せる女がいるだろうか?なんて言ったら野暮だよね。これは現実の報告書じゃなくて詩だ文学だ。シェーンベルクはこの詩をモチーフに弦楽六重奏を作曲している。冬の忍耐のあとに、芽生えの春が来る。新しい命がこの世にもたらされる。寿ぎましょう。



















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