今宵、新月
今宵、新月
出ました、改善作用が。今日は新月なので、きっと来ると思っていましたが、午前中、左のあばら骨辺りがピリピリでした。遠隔治療を始めた当初、左脇ピリピリが頻繁に起こって、息をするのも痛いほどでした。以前より痛みは軽減しましたが、ピリピリのパルスが短くて痛かったので、痛みに耳を澄ませてみました。すると飲食に関する想念が浮かび上がってきて、ああ、これは祖母の介護初期のことだったなぁと、心のスキャンが始まったのです。
17日が新月です。アップしたら18日になっていました。
肩甲骨と仙腸関節、そして4年前ホメオパシーが起こった左膝が常に連動している
アタシ電話したかしら? 電話したわよね。アタシ電話したかしら? 電話したわよね? こんな風に2~3分置きに祖母が聞きに来るようになった日、認知とは気が付かず、いじわるしているのかと思ったのを覚えています。私が家のどこにいても、やってきて尋ねるので、ついにたまりかねて、部屋にカギをかけて祖母が来られないようにしましたが、敵もさるもので、開かないドアのハンドルをガチャガチャ、いつまでも動かしていました。恐怖でしたが、祖母自身もいたたまれない不安の中にいたんだろうと、今にして思います。
こんな状況から逃れたくて、私は自分を徹底的に甘やかすことにしました。スイーツを毎日3種類作って食べていました。完成品を買ってくることはしないで、徹底的に手作りをしました。その方が家にいるとき、気がまぎれると思われたのです。こうして徹底的にあらゆる種類のスイーツを作り続け、食べ続けた結果、もう、これいいやと、なったのです。以来、お菓子作りをぴったりやめました。そのころ、祖母はもう、みまかっていましたが、母が認知になっていました。
母は祖母が亡くなると激やせしてしまったので、なんとか太ってもらおうと、一生懸命、料理をしました。やせている人が太るのは、太った人がやせるより、大変とういうのは本当で、私ばかり太って、母は全く変わらずじまいでした。添加物を一切排除しようと、徹底的に手作りにこだわって、ヨーグルトや納豆、パンや玄米食を作り続けました。我が家は家系的に料理好きだったで、苦にはなりませんでしたし、料理は作るほどに追求できるところがあるので、食材選びにもこだわって、料理を続けましたが、母はどんどん食が細くなっていきました。
猫は死ぬ1週間前、ぴたりと食べなくなります。全く大したものです。清く潔く死んでいきます。動物は自意識がないので、本能という神様スケージュールにそって、生きて死んでいくのが判ります。人も亡くなる時、痩せて干からびて、肉体から旅立つんだと、家族の死を傍らで見送って納得しました。家族が死ぬ姿を見たことで、私の中で、化学変化が起こりました。食材を吟味して美味しく作ること、栄養バランスを考えて健康を維持すること、これらに留意して料理を続けた結果、反対側に突き抜けたのです。私は火を入れたものを食べない。体内酵素を維持するために、果物を食べることに辿り着きました。母が亡くなって、人のために料理をすることから解放されて、私はフルタリアンになりました。
あんなに食べることにこだわりを持って、日々、料理に挑んでいたことが今では嘘のようです。食べることに無関心になったのではありません。足し算の食から、引き算の食に変化したというべきでしょうか。自分が鬱だったころは、たくさん食べなければいけないと思っていて、とても太っていました。精神的に満ち足りていない何かを、食べることで埋めようとしていました。
自分の食生活がこんな風に変化したのは、出来合いのものをほとんど食べないで、自分で作ったものを食べる=料理をすることで食材に自分のエネルギーを入れることで、細胞レベルでのフィードバックがあったからだと思えます。もちろん、あともどりして大食いをしたり、絶食をしたりの紆余曲折があって、今に至っています。
家族の認知、介護、絶望、死。飲食で体を養うこと、そして人は食物だけで生きているのではないこと。あばら骨のピリピリに耳を澄ましていたら、これだけの想念が出てきました。これらに、ありがとう、さようならと、挨拶を送ったところ、ピリピリが出なくなりました。その時々の想い、欲望や絶望、悲しみや怒りが出ては抜けて行きます。こうして自分のチューニングが、宇宙の正常波動に合って行くことに想いを馳せています。
アーノルド・ベックリーンの作品に「ヴァイオリンを弾く死のいる自画像」というのがあって、初めて見たとき、これは自分が描きたかったことだと、強烈な印象を受けました。ベックリーンの自画像は絵筆を持っているんですが、たとえパロディでも同じでは恐縮なので、自分はお箸だと思いついた新月でした。
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