身体は学びの場 その3
身体は学びの場 その3
変化するのは心が先で、身体はあとになることが多いとは南先生の言。
尻もち直後、イテテとベッドに辿り着いて衝撃がだいぶ緩和された頃、思い浮かべていたのはシークレッド・ドクトリンで読んだばかりの水のことだった。「火が光になり光が熱を帯び、熱から水が生じる。混沌の母としての水である」混沌の母、物質が実在化する前の水である。自分の中にも、その水があると思うと何だかほっとして、ああ、助かったなんて思っていた。
原初の水、読んだ時は結構衝撃で、これで矛盾が解けると思った。「蛇のように慧(さと)く」と言うけど、蛇ってエバにリンゴを食わした悪魔じゃないのか? それから天の闘いで、天使ミカエルに槍で突かれて地上に墜落した悪魔は、絵画において龍として描かれている。悪魔としての龍と、滝つぼに住む龍とは別物だというけれど、なにがどうなっているんだか?
混沌の母としての水の中を、動き回るエネルギーが最初の質量の兆候であり、それが蛇や龍として認識されてきたという。
イエスが蛇を最高の知恵と言ったのは、物質化する前のロゴスの意味で、エバ(命という意味)に現れた蛇とは、混沌の母から生じたエネルギーが物質化する過程で、アストラル・レベルに至ったとき、それは誘惑するものに成りえるという教えを含んでいるのであり、知恵の実と称するリンゴを、命(エバ)は心で取って食べればよかったのだという日月神示(ひつくしんじ)の教えが、これで活きて来る。
混沌の母を生じさせた光を生んだ暗黒こそ純粋霊で、天における闘いとは、地上における霊と物質の統合=物質の顕在化のことで、霊が物質と統合する過程を悪魔の堕落と解釈したのは、初期のキリスト教指導者の誤った言い方だという。
ともあれ人は、霊と物質が霊的結婚の末に生まれた霊止(ひと)であるとはっきりした。蛇や龍は混沌の母である水の中をうごめく物質化する前の質量としてのエネルギーである・・・ふむふむ。
満月と新月を過ぎて、この尻もちという荒療法が始まって、そろそろひと月になる。だいぶ自由に動けるようになった。記憶の薄い遠い過去では、だいぶ身体に負担をかけていたのでしょうと、南先生からのアドヴァイスを思えば、過去生からの痛みを今、治しているんだから、時間がかかるのは当然かなと。身体にはいろいろなことが起こるけど、ほら、そこで気が付きなさいよって、声なき声が言っている。
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痛みの中で想い至った太古の水、私たちの中にエネルギーとして宿っている原初の水。その中をうごめく蛇、龍の姿・・・辰年を経て巳年の今年、なにやら龍神様ブームのようだけど、元祖・龍神といえば春水先生なんです!
春水事務所には先生のお師匠様お手作りの、木彫りの龍神様が祀ってあって、先生は「龍神様とは、あなた自身」だと説いておられます。これって原初の水から生じたロゴスの御霊分けこそ、霊止(ひと)ってことじゃな~い?
その春水先生の新刊が出ました!
ズバリ!「龍神開運占術」

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春水先生は十二支ではなく十三支を説いておられるんだけど、思えばイエスも12人の使徒と一緒に働いて、ユダが抜けてマチアが入って13人、なんだか似ていない? 古今東西を問わず、教えの目指すゴールはひとつ。いろいろ読んで知って魂の滋養、理解を深めたい。

ウロボロス:自らの尾を噛む蛇は、原子から宇宙まで、その成り立ちが丸、球体であることを表してしているという。私たちの身体も原子の楕円運動からできているんだよね。





















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