虹
虹
夕方4時ごろだった。仕事帰りの道すがら、学校の角を曲がって、住宅街の道へ出る。小さな女の子が補助輪付き自転車の練習中だった。おヒゲのお父さんに助けられながら、女の子は、前のめりになってこぎにくそうだ。まだ脚の力が弱いんだね。邪魔にならないように歩いて行くと、「あっ虹だ!」と、女の子が大きな声を上げた。見れば真正面の空に、大きな虹が出ている。え? 虹なんかあったっけ? 角を曲がったときはなかったような気がするんだけど・・・女の子とお父さんを通り過ぎること5メートル、左側には学校の桜並木を透かして校舎の窓が並んでいる。校舎と二階建てが続く家々の軒に挟まれて、空の虹は細長い額縁に入っているようだ。それにしても東京で、こんな大きい虹が見られるなんて。驚いている私の中で、ああ、そういえばと、アッシジで見た虹がオーバーラップした。
あれはご降誕を迎えたアッシジの朝だった。はりきって、まだ暗い内から起き出して、教会の聖堂に黙想に出かけた。外は霧雨、百合の香りがする聖堂に人影はない。薄闇に沈む天井には、聖フランチェスコに話しかけたという十字架がある。そのまましばし、十字架に見降ろされて時を過ごす。ああ、このイエス様なら、お声を出して話しかけるだろうと思われて、なんだか胸がいっぱいになる。暗がりに目が慣れると、右側の桟敷席に修道士、修道女の方々が、並んで目を閉じておられるのが見えた。そっと外へ出ると夜明けだ。霧雨が晴れて、朝日が昇る。青く透き通った光の中、澄んだ空気が辺りに満ちる。ここで聖なる心が育まれたのだ・・・そんな感慨を胸に、次の目的地を目指してバスに乗り込む。草地にはさまれた道をバスは滑るように走る。冬の白い光が草波を銀色に光らせていた。と、そのとき虹が出た。しかもふたつ。バスを伴走するように、車窓と同じ高さで、虹が二重にかかっている。憧れの地で輝く虹を見ているなんて、幸せだなぁ、よかったなぁ・・・あの感動、あの美しい時間から、私はずいぶん遠くへ来たのだ。
そして今、アッシジの時よりも大きくて、はるか上空にかかる虹を見ている。時間にして1分、いや2分くらいだろうか? 大きな虹を独り占めに眺めていたら、通りがかりの人が二人、傍らにやってきた。自転車の女の子とお父さんの話を聞いて、虹に気が付いたらしい。すると間もなく、右側から薄墨を流すように雲が来て、虹は消えて行った。二人はすぐに立ち去ったけど、私はその場にとどまって、もう一度見えないかなぁと、虹の再登場を待っていた。アンコールはなかった。あきらめて歩き出す。もう家はすぐそこなんだから。それにしても大きな虹だったなぁ。椅子に座ってしばし、虹の余韻に浸った。
◆ ◆ ◆
アッシジから帰国したあと、私は空と草地の絵を描き始めた。地平線には、黒い服を着た後ろ姿の人が立っている。このテーマを繰り返し描いたのだ。
この黒い服の人たちは私の兄だ。この世に生まれなかった兄たち。あの世とこの世の秘密を解説する兄妹たちの物語を紡ぐはずだったのが、彼らはいつの間にか猫子さんたちになり、そして乗馬用の長靴を履いたカップルになった。
大きな虹は希望の架け橋。橋のたもとには、金色の壺が隠されているという。金色の壺はどこにあるんだろう? 探しに行かなくちゃね。
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