人形考
人形考
居間の本棚には母が初節句の時にもらった日本人形が置いてある。90年近く前のものだ。桃代ちゃんという名の少女人形で、右の頬に胡粉で埋めた傷跡がある。「リュウちゃんがごはんをあげたのよ」と、ママンは苛立たし気に話していた。その昔、遊びに来た母の従弟が人形とままごと遊びをした。頬に残ったご飯粒をネズミが見つけてほっぺごと齧ってしまった。昔はネズミが悪さをするんだね。のんきな話だねぇ。え?ちょっと待てよ、私の右頬にも傷があるんだけど、まさか・・・?
桃代ちゃんはふっくらした頬と、まぶたがゆたかなつぶらな瞳をしている。曾祖母お手製の着物を着て、いつも物静かなお利巧さんだ。リュウちゃんは長じて料理人になったんだから、人形にごはんをあげたのはおさな心の思いやりからで、女の子をいじめてやろうとしたんじゃない。
だから「私の顔に、よくもいたずらしたわね!」と桃代ちゃんが恨みを持ったとは思い難い。つまり呪いの人形よろしく桃代ちゃんが持ち主(ママン)の娘(モニカ)に呪いをかけて、自分と同じ右頬に傷を負わせたなんてことはないんだ。偶然の一致に気が付いたときは、ちょっと驚いたけどね。

描くのが難しいと言われる人形だけど、桃代ちゃんらしく描けたわ
桃代ちゃんを見ていると、人形師が子供の気高さを表現しようとしたのが伝わってくる。命の気高さを写しとりたい。穢れを知らない無垢な美しさとは何か? そんな情熱が人形に命を吹き込んで、見る者の心象を映し出す人形の神秘的な魅力を生む。
人形は平和な心で眺めれば、平和な人形になる。呪いの心で眺めれば呪いの人形になる。作られたものにはスピリットが宿ると、私は信じて疑わないから。人間と人形はそんな風にお互い相通じながら過ごしてきたのではなかったか?
樹木が人とコンタクトを取りたがっているように、人形も人とコンタクトをとるために作られて、人みたいになる日を憬れている。魂体なきスピリットたちは、魂を持つことに憧れているんだから。
桃代ちゃんは穏やかな優しい顔をして、きょうも居間の本棚に佇んでいる。
どうして人形考になったかといえば、ペトリューシュカなんだよね。ヴァスラフさまの人形ぶりたるや憑依、変身といわれるほどだったとか?
というわけで、つづく

洋モノってクドイねぇ、日本人形を描いた後だから・・・


















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